ゲームのルールを変更せよ

変化は改善する光によってのみ起こり得ます。この光は我々がいる状態を実現することを促進させるために勝手に訪れます。それは絶え間なく我々を照らしながらその照度を強めます。言い換えれば、それは絶え間なく明るくなり、レシモット(思い出すこと・回想)を明らかにし、変化させ、強めます。そして、こうして我々は自分たちが変化していると感じます。

我々が何かをしたいとき、何かを明きらかにするとき、技術を開発するとき、そして、進展するとき、それらはすべてレシモットに従っています。レシモットが我々をやむを得ず行動させるのです。突如としてニュートンは重力の法則を発見し、突如としてアインシュタインは相対性理論を展開し、さらにまた他の科学者が現れては新しい発見をし、そのように世界は進展します。良い人や悪い人、異なる人々が現れ、あたかも彼らが世界を進展させているように思えます。そのように我々は光の影響下でレシモットが発達するさなか暮らしているのです。

しかし、我々は、この光が我々の利己的な欲求を強めるために照らすのではなく、利己的な欲求を変え、是正し、授与したいという欲求に変化させるために照らすよう、この光を呼び起こすことを望みます。我々は自分たち自身の力で「努力」というものをしなくてはなりません。我々が自分たち自身の欲求を変えなくてはならないので、この行為は自発的なものです。我々の中で、つまり我々の欲求の中で隠されているスピリチュアルなスパークを用いて我々は我々の変化を起こしており、それは、物事が違った形になれること、我々が自分たちの欲求の異なった使い方ができること、そして、他者を利用するのではなく他者のために行動して他者への愛と授与を達成できることの理解を助けます。

光は我々のレシモットを照らし続け、我々にできることは自分たちに対するその影響を変えることだけです。もし我々がなんとかしてこの問題を理解して取り上げるのなら、我々の中で引き起こされるレシモ(レシモットの単数形)を我々が受け取りの形ではなくて授与の形で使うために実現させる程度にまで、我々のために明るくなる光は、我々の中に変革を遂行することによって、そのような結果をもたらします。

したがって、すべては我々次第です。たとえ我々が、どのような状態にあろうと、つまり絶えず我々の中で明かされるレシモットの内にあろうと、どれくらい我々が受け取りではなく授与の形でレシモットを本能的に実現したいのかによって決まるのです。

もし我々がレシモットを本当に実現したいなら、我々の行為は少なくとも二つの部分に分かれます。まずは、我々が自分たち同士のつながりに取り組むために集合します。我々が達成したい我々同士のつながりは、全体魂を作るための粉々になった魂たちのつながりに似ています。これが私たちのゴールであるためです。これは欲求からの見方、つまり器からの見方です。光の見地からすると、我々は1つの光に我々の中で明るくなること、我々をつなげること、我々のためにクリエーターを明らかにすることを望みます。すなわち、我々のあいだで明かされる、授与の総体的に集合した力のことです。

これが、なぜ我々がカバラの本の中でつながろうとする人々から成るグループ内で実行される行為について読むのかということの理由です。ゾハールの書がこれらの行為、このシステムについて最も完璧な方法で言い表すので、全ての本のなかで最も効果的なのはゾハールの書です。

From the 2nd part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, The Zohar

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