努力なしには学べない

バール・ハスラム、「ラスト・ジェネレーション(最後の世代)」:文字通りの意味で隣人愛に基づく利他主義の法律の採択。各自が能力に応じて働き、必要性に応じて受け取れるよう、利益の公平な分配

我々はバール・ハスラムがこれらの原理をマルクスから取ってないことを明確に理解しなくてはなりません。一般的に、彼の方法は例えばマルクス、アインシュタイン、そしてフロイトなどの科学者の概念に基礎を置きません。彼は、器たち(魂たち)の是正された完璧な形態を見るだけで、我々がゴール(是正の終わりと完璧さ)へと向かって前進しながら、この世で通過すべき段階が何であるのかを目にするのです。

我々は、身体、社会構造、人々の関係、国々、様々な政党および政治運動について話しているのではありません。そうではなく、我々は魂たちについて話しているのです。すなわち、魂たちがどのようにして一体化し、一つの魂になり、ゴール(無限の世界での是正の終わり)へと辿り着くのかについて。

どうやって我々は、この世における連続的な物理的行為の助けを借りて、スピリチュアルな是正をもたらすことができるのでしょうか。「あなた(クリエーター)の行為から我々はあなたを知ります」と言われています。我々はまずはじめに行為を遂行し、そしてその後にそれを理解するのです。現実の世界でもそうです。例えば、新しい職場で私はまず盲目的に管理者の指示を遂行し、自分の職務を学びます。

同様に、子どもは大人をまねます。そして、この本能のおかげで、後に子どもは何が起きているのか理解し始めます。別のやり方ではなく、あるやり方で行動する必要があるという理由です。子どもは常に練習によって勉強し始めます:彼は見た手本を何回か繰り返し、その後になって初めて、我々は彼にその状況の道理を説明できるのです。そして、彼はもしかすると彼の理解から何かを加えて、そのタスクを我々がするよりもさらに上手く遂行するでしょう。

したがって、何でも新しいものは古いものを模倣することから始まるのです。そのため、バール・ハスラムの作品を勉強しているとき、我々は彼が何を通して我々の状況を見ているのか理解しなくてはなりません。彼の視線は、諸世界における今日我々の目の前に現れている非常に外的な形態から、是正の終わりで彼が目にする様相までのすべてを貫きます。彼はすべての人がゴールに向かう途中で通過しなくてはならない全過程を目にします。そして、そのゴールとは、我々が、身体もない、この世もない、無限の世界で最終形態の自分たち自身を明らかにすることなのです。

したがって、重点はマルクスでも誰かの有名な引用文でも社会主義的な見解のなかでもありません。バール・ハスラムは、我々がどんな状態を通過しなくてはならないのか、そして、どのように振る舞うべきか説明するために、マルクスの理論や他の理論、定義、記号、そして名前をただ利用しているだけにすぎません。彼は、最後の是正に向かう途中で我々が持っていくものすべてを説明する、別の言葉を見つけることもできました。あなたは彼が社会主義者であるとみなすべきでも、彼に何か政治的な共感があると思うべきでもありません。是正の正しいステップを我々に示すために、存在する概念を用いることは、彼にとって都合がよいことなのです。

したがって、彼は他者への愛から始めます:最初、我々はこのやり方で、我々が破壊のあとの器たち(複数の欲求)の是正について話していることを知りつつ、自分たち自身を教育しなくてはなりません。一体化とは、是正された状態に我々を戻す唯一のツールです。したがって、この段階において我々が理解するところの文脈では、この一体化は以下の概念によって定義されます:「あなた自身としてあなたの隣人を愛せよ」そしてさらにもっとあります。

From the 4th part of the Daily Kabbalah Lesson 8/26/12, Writings of Baal HaSulam, “Last Generation”

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