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マヤの暦の宿命的な日付まで

新聞記事News Junkie Postから):“様々な悲観的な予言や、あるいは黙示録(Apocalypse)でさえもが2012年に関連づけられています。 黙示録(語源はギリシャ語の「ベールを取り払うこと」または「啓示」)は、すべての終わりとしてよく誤って見なされますが、もちろんその語源そのものがこの考えを否定しています。 強烈な啓示としての黙示録は、全世界の決定的な時であり未知の領域への大飛躍です。 人類の歴史におけるこの特別な段階に世界全体がすでに入ったように思えます。

“マヤ人は2012年12月21日の宿命的な日付を「世界の終わり」と見なしませんでした。しかしそれどころか、彼らはそれを一つの世界時代からもう一つの世界時代への移行の時期であると考えました。 マヤ人の中心的メッセージは、我々の選択能力に関わることでした。それは我々が勇敢にこの新しい未来を受け入れるのか、または過去にしがみつき、起こりうる恐ろしい結果に直面するのかという選択です。 マヤ人によると、この移行が混乱と暴力的な激変で起こるのか、それとも平和と静穏で起こるのかは、このパラダイム・シフトに対する我々の抵抗または受け入れによって決まるということです。

“「マヤの暦の終わりが意識の変化をもたらすという直観が多くの人にあります。 それでも、何がそのような変化の根源であるのか、それがどのように起きて、その性質がどのようなものなのかは、はっきり述べられることも説明されることもめったにありません。」とCarl Johan Callemanが2010年3月に書きました。

“「最初は、コンシャス・コンバージェンス(意識の一点への集合:一体意識)のための呼びかけを広めるイニシアチブを取る人々の要求が、世界中で強まるでしょう。」とCallemanは書きました。

“意識の変化またはコンシャス・コンバージェンスとCallemanが説明するパラダイム・シフトは、どちらもすでに起こりつつあります。 歴史の列車は「駅を出ました」。そして実のところ、それは超特急列車なのです。 この世界的な人類の歴史のパラダイム・シフトは、アラブ世界で2011年の春に始まりました。 … しかし、アラブ革命の一連の出来事は、マヤの予言や他の水晶玉のどちらにも言及することなく、非常に予想出来るものでした。

“アラブの春以来、「占拠」運動(Occupy Movement)は注目に値する適応性と回復力を示し、今やそれはウイルスのように広まっています。それは 西ヨーロッパのギリシャ、イギリス、スペイン、イタリア、フランス、そしてドイツに広まりました。 しかし、さらに重要なことに、それは帝国主義の砦である米国でも今や侮れない力なのです。 「占拠」運動が米国で多大な牽引力を得ている主な理由は、米国勢調査局の新しいデータによるところ、アメリカ人のほぼ2人に1人が貧困に陥ったか、低い収入で苦労しているということにあります。

“「占拠」パラダイム・シフトは、超自然的な「起こるべくして起こった」勢力や奇妙な占星術的現象ではなく、公正さ、平等、そして社会的正義などの飾り気のない原理に基づく平凡な運動です。それは世界人口の99%の人々が資源を制御して自身の事柄を管理すべきであり、世界人口の1%の人々に我々をどん底へと楽しげに連れて行くといった容認できないやり方で世界を運営させるべきではないという信念に基づく運動です。

“金融界における暴君や独裁者や寡頭政治の支配者や「超空の覇者」は、99パーセントに通告されました。 彼らが抵抗するならば、ゆくゆくは「占拠」運動の津波が彼らを打倒するか、彼らの権力と豊富を完全に剥奪するでしょう。 それは時間の問題であり、結局のところ、マヤの暦の終わりまでに一年間しか残っていません。世界占拠運動(Global Occupy movement)がおそらく一番の頼みの綱です。それは99パーセントとしてではなく人間として、固く決心して我々の方向を変え、「食うか食われるか」の文明がはびこることのない世界を奨励することです。 公正さ、正義、そして世界人権宣言の尊敬に基づく生活様式です。”

仕事の奴隷

21世紀になり、世界は大いに変化しました。かつて人々はより自由でした。人々は仕事の渦の中に飲み込まれ、奴隷になったのです。これは、中流階級、ハイテク産業の従業員、政治家、経済学者、政治学者、社会学者、そして、全ての職業の人々にでさえ当てはまることです。働く人の全員は、完全に仕事に売られています。私たちは奴隷になったのです。

私たちの人生のすべては仕事を中心に回っています。現代人は、食事を取ることや、テレビの前に座りながら休むことにあまり時間を費やしません。現代人は時間のほとんどを仕事で浪費し、通勤に一、二時間、時間を無駄にします。このようにして現代人は仕事をし、丸一日を過ごすのです。

会社は自社のデイケア・センターや集団静養を手配してくれます。会社はあらゆる手を尽くし、従業員を職場にさらに強く所属させます。このようにして人は会社の奴隷になってしまうのです。その人は仕事以外に何か他のものがあることを理解することさえもしません。仕事が人生で最も重要なものになり、人生を完全に埋め尽くすのです。

私たちが知り合いに会う時に最初に尋ねることは、どこで働いているのか、何をしているのか、そして、どれぐらい稼いでいるのかといったことです。基本的に、私たちは知り合いを人としてではなく、職業人として扱います。それはあたかも私たちが自分たちの目の前に人を見ないかのようです。私たちは、その人が何に興味を持っているのか、何を見たことがあるのか、何を体験したことがあるのか、あるいは、どこに行ったことがあるのかとは尋ねません。それはまるでその人の職場が私たちにとってその人よりも重要であるかのようです。最も重要なことが勤めている場所と仕事の内容なのです。

人の主な心配とは、首にならないようにすることと、違う仕事を見つけることができるのかどうかということです。会社は従業員を職業訓練に送ります。すべては仕事だけを中心に回ります。人はこのことに少なくとも1日10時間は費やしています。これは全く健康的なライフスタイルではありません。

私たちは私たちの基盤を破壊しています。私たちの住んでいる地球、すべての天然資源、そして、生態環境。私たちは遊びながら時がたつのを忘れた子供のようです。今や、私たちの母は私たちを止める必要があります。彼女はゲームを止めに来たのです。そして、私たちに他のことをする時が来たことを伝えています。しかし、私たちはやめることができないでいます。

From the Talk “Lessons on the New World” 12/1/2011

我々の世界の目的とは何か

我々が発達し終わった時に、我々は完全な充足と共に、限りのない受け取りの状態、そして、善と永遠と完璧さと力を限りなく明らかにする状態に達しなければなりません。これがこれから先に我々を待ち受けているいるものです。しかし、それには、クリエーターが我々に向けて示す意図と同一な意図を我々がクリエーターに向けて示すために受け取り始めるという条件があります。

我々の世界(クリエーターが隠されている状態)が創造された目的とは、我々が、これらの状況下で、与えられた環境と共に、我々を受け取り(盗み、悪意、対抗意識、ねたみ、憎しみ)から、授与と愛の感覚、そして、自分自身を超越するという感覚へと転換させる、人間間の交流スキルを発達しようと努力するためです。

人が自分自身を本当に超越するなら、人は自分の周りの世界を満たす光・この世に存在しているクリエーター・全体の光・愛と授与の総体的特質を知覚し始めます。そして、その人は自身の動物的な体から分離し、この広大で終わりのない、愛と善に満たされている状態の雰囲気(空気)の中に単に「浮かび漂う」のです。

これが次なる状態であり、我々はその状態へと上昇しなくてはなりません。これは決して我々の世界を破壊しません。我々はそこに徐々に入り、我々の世界と共にそれを感じ、感覚に於いて次の段階(度合い・程度)へと変化します。

From the Sunday Virtual Lesson Series 11/6/2011