マフソムを渡る

受けた質問:“マフソムを渡る”とはどういう意味ですか?

私の答え:マフソム(私たちを霊性から隔てている障壁)を渡るという意味は内側の現実を感じることです。“ハートの中の点”が現れ、最小限の“量”(10個のセフィロート)を手に入れます。これらのセフィロートの中で私は新しい現実を知覚して感じます。私は光がどのように自分に入り出ていき様々な感覚を引き起こすのか感じます。それは意識と理解の中の最小の変化に始まりますが、私は“内側”で何が起こっているのかを見ることが出来るのです。私達の世界に関しては、私はそれを新しい(霊的)世界の背景に見始めます。

そのような存在における二元性は障害になりません。それどころか、それは私に二つの世界、つまり枝と根の関係性を感じさせて理解させてくれます。自分のハートの中の点の内側で私は様々な行為、それがどんなに小さな行為であろうとも感じます。私は未だ光が入り、出て行くという意味を理解できませんが、私は何かが何度も来て去ることを感じます。感じるけど何が起きているのか分からない新生児のように、私は未だ正確に何が起こっているのかを理解しません。

光がついたり、消えたりしていると仮定してみましょう。新生児はそれが光と闇と呼ばれていることを知らずにただある現象を観察します。私には、光が入り、出て行くにつれ、それは(光が入るにつれて)上層の世界の感覚を与え、そして私たちの世界は(光が出て行くにつれておこる)単なるそれの印象なのです。さらにいうと、私は類似した特質を発達させる私の能力の度合いまで、その中でどんどん順応し始めます。

From Mega Congress Lesson 5, 7/25/10

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