信じるということは感じることである

私が受けた質問:Machsom(スピリチュアル・ワールドへの障壁)を越える前の“信仰”とは何ですか?

私の答え:人がMachsomを越え、霊的世界に入るまでは、彼に信仰はありません。カバラにおける信仰の概念とは、日常生活で習慣的に呼ばれるそれとは全く異ります。カバラでは、これら全ての概念は全く違ったレベルで定義されています。

“信仰”とはクリエーターを知覚することです。もし私がクリエーターを知覚しているのなら、私は彼を信じます。私たちが思っていたものからどれほどその定義が違うのかに注目してください。私たちの日常生活では、信仰とは私たちに見えない何か、あるいは、知ることのできない何かがあたかも本当に実在しているかのように信じることです。

カバラは、これは信仰ではなく、単なる幻想であると告げます。カバラは現実的な本当の内面的感覚のみを信頼します:私がクリエーターを感じる度合いまで、私は自分のエゴに反して努力する力を受け取るのです。一つの力に対するもう一つの力;ネガティブに対してポジティブ。これが私たちが言う“理性の上の信仰”です。それはエゴイズムとその中の感覚よりも上の信仰なのです。私はこれらの全ての上に上がります。なぜなら私は上層の理性と感覚を使うことが出来るからです。しかしながら、もし私がそれらを持っていないのなら、私はどのように作業することが出来るのでしょうか? 他の誰かが伝えた物語に基づいてですか?

これは私たちの言う信仰ではありません。それは人々がこの世界で遊ぶゲームなのです。なぜならそれ以外に自分たちを安心させる方法を知らないからです。信仰を獲得するには、私たちは啓示に到達しなければなりません。カバラの知恵とは、クリエーターの創造物に対する啓示です。これを“信仰”と呼ぶのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 6/11/10, Shamati #50

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