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何を是正するのか:私自身か、それとも世界?

私たちの目の前には目的地があります。それは私たちにとって魅力的とも、そうでないとも感じられます。私たちの視点は、子供が必ずしも自分のためになるもの(ホウレンソウ)ではなくて、自分の目に良く映るもの(お菓子)を求めるのと幾分似ています。私たちは、気が進まないかもしれませんが、現在の受け取るだけの願望に留まるのではなく、授与に対する新しい願望へ上昇するために、行動の正しい形態を見つけ出し、身につけなければなりません。

これが意味することは、目的地と上層の支配は善くて必要だ、なぜならそれは違うレベル、つまり授与のレベルに属しているからだと私たちが自分らの意思と性質を超えて受け入れなければならないということです。そしてカバリストたちは私たちに、この目的地、授与のレベルに近づく最善の方法を知らせてくれます。

その方法はシンプルです。彼らは私たちに伝えます:私たちは自分たちにとって不快な事実を受け入れなければならない。私たちは世界を自分たちに合うように曲げ、私たち自身は変らぬままでいたいと願う。しかしながら、カバリストたちは私たちに、世界(それは良く、完璧である:私にはそのように見ないだけである)をそのままで受け入れ、自分たちを無化するようにと助言します。

だから人は理性より上の信仰(faith above reason)を使って歩むのです。つまり自分のエゴイスティックなハートと理解を超えて、カバラで述べられているように授与の光で世界を見ることを望むということです。もし私たちが是正された世界、是正されたグループ、そして是正された私たち自身を見ようと努力すれば、私たちは是正させる光を求め始めるでしょう。これが、なぜ私たちが自分自身と世界を一瞬一瞬、調査し、批評し、そしてこの批評を超えて歩まなければいけないことの理由なのです!