ただお互いにすがりつきなさい!

光は“彼”と似ている私たちの意思に作用します。この意思と光の一致の程度を信仰と呼ぶのです。もし私が全くの利己的な願望や目的でカバラの資料を読むとするなら、それらが私に作用することはありません。

ハートの点とは、壊れている点です;それは人をスピリチュアリティへと引き寄せますが、その理由は単に彼の気分が悪いからというだけです。彼はまだ“善を行う善”、授与と愛を求めていません。今までのところ彼は、ただ単にこの地上での人生に満足していないだけです:未来は暗く、人生の目的がないのです。これらの事は単に、スピリチュアリティを捜し求めることに対する利己的なモチベーションを与えます。しかし光はそのような願望に、遥か遠くからでさえも作用しません。光はその信仰の程度によって作用します。つまり、それは人における授与に対する切望のみに作用するのです。

信仰はその人の行路と目的への献身によって試されます。人は自身における授与の性質を獲得しようとする意図の純度を確かめなければいけません。信仰そのもの、授与の特性は努力の報酬として上層から与えられます。人にその値があるとき、“夜”は終わり、彼は“日の光”を見ることになるのです。

もし人がトーラーを自分の利己的な充足のために利用すれば、それは彼にとって死の毒薬となります。これが意味するのは、彼は“霊的に死んでいる”だけでなく、死に“薬漬け”にされるということです。なぜなら、彼はそれを霊的な生だと思うからです!彼は自分のエゴイズムを更に高め、偽りのなかで生きていることが信じれないのです。

真実へ出て行きましょう:もし私たちが全てを一緒に行い、もし皆が他の全員から、囲む光(Ohr Makif)が自分に作用することをたやすく要求できる力を受け取ることが出来れば、行路は素晴らしい冒険になるでしょう。ただお互いにすがりつきなさい!

もしあなたが一人のままでいると、直ちにあなたの前に壁が生じます。もしあなたが他の人たちと一緒に歩むために団結すれば、壁は直ちに崩れ落ち、幅広なハイウェイへと一面に広がります。壁かハイウェイのどちらかしかないのです。選択肢は一瞬一瞬、友の間にいるのか、そうでないのかです。全ては上層の光で行われます;私たちはこの唯一の条件だけを守らなくてはならないのです。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 5/27/10, “Introduction to the Study of the Ten Sefirot

Discussion | Share Feedback | Ask a question




Laitman.com Comments RSS Feed