Entries in the '' Category

豚インフルエンザ、生活水準、瞑想についての質問

質問:カバラは豚インフルエンザのような流行に対抗できますか?

私の答え:はい。それ以外の全てに対することと同様に。

質問:どのようにして適当な生活水準を測るのですか? それは人の是正されたエゴイズムのレベルによりますか? 生活水準以下の暮らしの条件とはなんですか?

私の答え:それはあなたが“人間”段階の存在に前進するにつれ、決定されるでしょう。この段階それ自体が、あなたに必要なものと必要でないものを明示します。それと同じことが全ての人に起こるでしょう。

質問:あなたはカバラには瞑想がないと言いました。しかし、最も重要なカバリストの一人であるラヴ アブラハム・アブラフィア(sec XIII)が何世代も越えて使われてきた瞑想のメソッドをもたらしたということを読みました。これに対するあなたの意見は?

私の答え:彼がそうしたとされているのとは反対に、アブラフィアは瞑想の創始者ではありませんでした。彼はとても現実的なカバリストでした。彼の記述、そして、他のカバリストの記述も同様に理解できないという無能が、そのような素人の印象を作り上げるのです。


鷹の翼に乗って空高く

ワールド・ゾハール・コンベンションは新たなフェーズの始まりを示します。コンベンションは私達を著しく変化させました。私達は如何に世界が最近の出来事の光のなかで変化していることも感じます。その問題はただ激しさを増すだけでしょう。

私達は究極の目的地に到達しなければなりません。想像してください。人類がマラソンコースの上で痛めつけられる走者であって、これらの打撃が人類に力を与え、ゴールまで走り続かせるということを。人類は走ってゴールにたどり着かなくてはなりません。私達には時間制限があり、ゴールに到達する以外に選択肢はありません。私達に選べる事とは、ゴールにたどり着きたいという願望を持って走るか、打撃が来るのを待ってそれらを逃れようとゴールまで走るかだけです。

三番目の道もあります。私達は一つになることで、私達の内部にある力を誘発させ、ゴールまでの上昇を簡単にさせます。それは鷹がヒナを運ぶように私達をその翼に乗せて引き上げてくれます。

しかし、私達は自分たち自身で鷹―Bina―の翼に乗ってこの世界を置き去りにすることはできません。私達は全世界と繋がった状態を保たなくてはなりません。私達が全ての人々のことを考え、自分たちを全ての人々に捧げない限り、私達が上昇することはないでしょう。これは矛盾しているようにも思えます。しかし、世界は崖っぷちに立たされていて、私達は世界が鷹の翼に乗るよう助けなくてはならないのです。

Post Zohar Convention Lesson 5/11/10


あなたに秘密を打ち明けましょう

受け取った質問:全てが言い尽くされ、やり尽くされましたが、目標達成の秘密とは何ですか? カバラの科学に来る人々の数パーセントしかそれを達成できないのなら、それはあるはずです。

私の答え:あなたに秘密を打ち明けましょう:もし人がその道から去ることがないなら、その道の上でその人に何が起きようとも目標を達成します。それ以外に成功の方程式はありません。

人はとてもつらい状態を経験します。人は時に振り返り、自分に起きたすべての事を信じることさえできません。しかしながら、全瞬間で何が起きようとも、人は自分の前に一つの目標だけを見なくてはなりません。そしてこれが成功への鍵です。これ以外に何も重要ではありません。

したがって、人にたった一つのことだけを願うことができます:目標達成において屈しないことです! それ以外には、何も助けになりません。特別な知性や洗練された敏感さ、または熱心な努力、知識、または側にいる友達でさえも。あなたはただ自分の歯で目標をくわえなくてはなりません。何が起きても放さないブルドッグのように。

Post Zohar Convention Lesson 5/11/10

光との最初の遭遇

受け取った質問:あなたの初めてのスピリチュアルな体験、初めての上層の光との遭遇を説明してください。この感覚は何に似ていますか?

私の答え:初めての霊的な体験はすべての人に共通します。なぜなら一般的に人々が同じ状態を経験するからです。人が初めて光と遭遇するとき、彼又は彼女は世界全体が、どんな限りもない一つの暖かい力のような愛で満ちていると感じます。それは暖かくて優しい感覚であり、世界全体がそのように知覚されます。人は自分の周囲にいつもの世界を目にしますが、空気がより濃く、より暖かく、より優しくなったと感じます。そっと優しく扱われているといった感覚があるのです。

そういうものが人に来る最初のスピリチュアルな感覚です。一般的に人はそのことを忘れてしまいます。しかしそれにも関わらず、それは人に何らかの証拠と支えを与え、その人の中に新しい知覚の器(Kelim)を構築し、前進を可能にするために起きるのです。

上層から与えられるこの最初のスピリチュアルな体験の後、これと同じ感覚を自主的に達成するのに人は多大の努力をしなくてはなりません。その後、10億倍も強い感覚が次に来ますが、そのときまでにはすっかりそれらを支配し、理解し、これらの感覚を扱えるようになっています。

まさに初めての印象も含め、そこから始まるこれらすべての印象は、発達している心の中の点の内部で人が感じるものです。それは生理的現象又は心理的及び精神的現象の領域の中ではなく、霊的な知覚の器(Kli)の中にあるのです。

From the 8th lesson at the World Zohar Convention 5/9/10