スピリチュアルな達成の波に乗る

受け取った質問:ゾハールを読んでる最中、次の瞬間に何も思い出せないとしたら、知識は私達に何を与えるのですか?

私の答え:知識は私達に何も与えません。現在私は何かを知っていますが、明日にはそのことを全て忘れます。なぜ忘れるのでしょうか? もし私の願望(KelimKli(器)の複数形)が変化するなら、私の新しい願望の内側で、以前に知っていたことを明日には思い出せないでしょう。なぜなら、私は以前の願望の内側に、その時はもう居ないからです。

私は唯一感覚だけを通じることによって、一つの段階からもう一つの段階へ知識を伝達できるのです。私達の状態には波のようなプロセスが含まれています:知識〜感覚〜知識〜感覚。私がある段階で自分の願望を是正したということにしましょう。私はこの段階での願望是正に従い、現実に対する何らかの感覚と知識を得ます。どの世界のどの段階に自分がいるのかということの実感を得るのです。

そのあとに、新たな願望が現れます。前の段階は消え、私は暗闇に包まれます。私に残るものとは何でしょうか? すべての人は、暗闇の感覚が自分に来る時、そのすぐ後に前の感覚のすべてが消え、もうそれらが扱えなくなることを知っています。しかし、もしあなたがこの新しい段階、この新たな暗闇を扱い始めるなら、あなたの努力が新しい光を呼び寄せ、その光があなたに来てあなたを是正します。その後にあなたは新たな状態に行き、そこでのあなたには、より高度な新しい知識に基づく、以前の知識に対するより深い理解があります。

したがって、あなたはどんなときでも知識を考慮に入れるべきではありません。それはいつもそこにあり、必ず是正された願望に入るのです。最も重要なのは、願望を是正することです。そうすれば、そのなかで明かされる必要のあるどんなものも、明かされるでしょう。しかし、このことについて心配することは、意味をなしません。

これが、なぜ正しく勉強する人が、何も覚えないでレッスンを後にするのかということの理由です。彼らは一般的な印象を持って教室から出て行きます。この印象は、彼らの理解の中ではなく、感覚の中に記録されるのです。それは感覚の記憶に残るのであり、知性に於ける記憶ではありません。

私は思考力を見下しているのではありません。実のところ、私は知識と真剣な研究に惹かれます。しかし、人が“心の中の点”を通じて勉強するとき、彼の感覚が十分に発達するまでは、彼が勉強している内容を理解することも覚えることもありません。感覚が十分に発達した後に、彼は自分の感覚で理解しはじめるのです。そのあとに、彼は“彼が感じていること”を理解するのです。

結局は、何年もかけて勉強してきたことは消え、“勉強結果”が見えないということになります。その結果とは、あなたの知識の中で示されるべきではなく、是正の光(Ohr Makif・包む光)があなたの特質を是正することに於いて示されるべきなのです。あなたの特質の中という意味です。

これは、4年間から6年間かけて何らかの分野のエキスパートになり、そのあとにもう二三年間かけて博士論文を書くといった大学の勉強とは、とても異なることです。カバラを10年間学んだ人の明確な知識とは何処にあるのでしょうか? 彼は何を得たのでしょうか? 彼にはそれについて見せれるものが何もないようにみえます。その理由は、彼が啓示を達成するまで、新しい特質の中に毎日新しく生まれ変わるからです。

彼が啓示を達成するとき、すぐにそれは彼の段階に記録されます。そうすれば、彼が上昇状態のとき、彼は題材に於ける精通と知識を本当に有します。しかし下降状態のときには、彼は闇に包まれ、彼の経験だけが彼を持ちこたえさせます。(バール・ハスラムの論文”What Is Support in the Torah, in the Work“を参照してください。)

人は、私達が最後の是正(Final Correction)に到達するまでは、状態が大きく変化し、是正のレベル又は高さだけを考慮に入れるべきであるということを理解しなくてはなりません。知識はいつまでも人の段階に応じてその人に伴っています。

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