スピリチュアリティーの中では全てが反対である

バール・ハスラム著 『Beit Shaar HaKavanot(意図の門楼)』:最初にはZair AnpinNukvahが二つの大きな光として、背中合わせで同じ段階に立ち、Nukvahには裏側の十個のSefirotのスピリチュアルなPartzufがあったことから、創造の四日目に月が欠けた。[これはNukvahがスピリチュアルな器を含んでいたことを意味します。では何故彼女には光が欠けていたのでしょうか?] 月は、二人の王は同じ王冠(Keter)を使うことができないと不平を言った。彼女は「行け、そして自分自身を小さくしろ!」と告げられた。こうして、彼女は以前住んでいたZair AnpinYesodの下の箇所に戻った。

Malchut(創造物)は彼女がZair Anpinのようになれると思いました。しかし、彼女は彼のようには輝くことはできませんでした。彼女は光をZair Anpinのように受け取るためにBinaへ上昇しましたが、そうすることができませんでした。これはZair Anpinには授与の特質があるという理由からでした。彼の性質はHassadimの光であり、彼はHochmaの光が無くても完璧さを感じるのです。彼はいつでも好きな時にHochmaの光で輝きます。なぜなら彼には常にHassadimの光があるからです。

しかしながら、MalchutにはHassadimの光がなく、彼女はHochmaの光のなかで彼女の存在を暗闇として感じます。これが創造物の不平を成すものです(Kitrug Yareach―月の不平):「私はまさに無限世界の高さへ上昇できる。しかし私にはHassadimの光―授与の光―がない。ゆえに私のためにHochmaの光は輝くことはなく、私はより大きな暗闇を感じるだけだろう。」

私達はいつ私達が暗闇にいることを明らかにするのでしょうか? それはまさに私達が上に持ち上げられているときです。私達がわずかに上の方へ持ち上げられるとき、そのことが私達に正された願望―Hassadimの光―が欠けていることを感じさせます。私達はこれを暗闇として知覚するのです。

私達が暗闇を感じるのは、私達が落ちるからではなく、上昇するからです。しかし、それは私達がHassadimの光—愛と授与の光—の衣をまとわずに上昇するという理由からです。私達の考える下降(下落・堕落・落ち込み)とは実際には上昇(向上・進歩・高揚)です。しかし、それは是正されていないものです。同様に、私達にとって上昇に思えるものとは実際には下降です。なぜなら私達が受け取りの願望の中に与えられている物を受け取るからです。したがって、スピリチュアルワールドのなかでは全てが逆なのです。

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