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一体化までの長い道のり

受け取った質問:人が一体化の必要性を認識し始めるまで、時々、何年もかかるのは、何故ですか?

私の答え:私達は歴史が始まった時からずっとこの過程の中に生きています。世代から次の世代へといった私達の全ての転生に於ける全ての発達は、私達が一体化(結束、団結、協調、統一、合一、和合)しなくてはならない状態にまで追いやるためにあります。私達の歴史の全体は、共通の魂(私達の霊的な器)の破壊から始まりました。この時以降、これらの破片はお互いにぶつかり合い、お互いを憎しむようになり、それらが誰で何処からきたのか、そして何故存在しているかも分からなくなりました。これらの破片にとって最も重要なことは、絶え間なく争い合うことです。

私達は徐々にそして段々と、私達のエゴイズム及び憎しみが原因で、私達が多くのものを逃しており、それがあまりにも多いので一体化しなくてはならないという完全な理解にまで来なくてはなりません。なぜでしょうか? その理由は、私達の発達過程において、私達が繋がっているということを、徐々に発見するからです。私達に可能なこととは、お互いに殺し合うことか、平和の中で一緒に暮らすことのどちらかしかないのです。

しかし、スピリチュアリティーに対して憧れを感じる人々にとって一つの問題があります。全世界はBeito(することになっている時間)の道に沿って一体化に前進しています。人は絶望的な状態に陥り、論理的に考えてから、世界が協調しなくてはならないことを悟ります。しかし一方では、私達にそれが不可能であることも明らかになります。これは全世界が感じていることです。これに対して、心の中の点が目覚めた人々は、私達が一つにならなくてはならないことと、そうしない限りスピリチュアリティーに到達することができないことを認識し始めますが、一体化の必要性は感じません。つまり、一体化の必要性を明らかにするが、その手段が欠けているためにその方法を知らない人々と、一体化を助ける手段を持っていても、そして、全世界に一体化の必要性が明らかになっても、その必要性を内面で感じない人々がいるということなのです。

これらの二つのグループ、外部と内部の部分、は一緒になって互いを拡大させる必要があることは明らかです。私達は彼らに一体化の方法を与え、彼らはちょうど赤ちゃんが親に自分に必要なものを伝えるように一体化の必要性を私達に与えます。そしてこれは親が赤ちゃんに必要なものを手にすることの手助けになります。

したがって、外部社会は一体化に対する内面的必要性の運搬人であり、私達は一体化の方法の所有者なのです。このようにして私達はお互いを補完します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/28/10, The Zohar


スピリチュアリティーの中では善か悪にしかなれない

受け取った質問: 自分の友だちに害を与えるとはどういう意味ですか?

私の答え:もしその人がカバラのグループの中の友だちであるのなら、あなたがその人と一つになる事について心配していないというだけで、あなたはその人に害を与えます。その理由は、あなたが共通の「船」に穴を開けていることになるからです。その船とは、私達の共通のスピリチュアルな器のことです。したがって、怠惰になって何もしないというだけで既に害を与えているのです。

もし自分が、私達が共有しているスピリチュアルなKliを拡大させようと努力していないのなら、そして、たとえそれがほんの少しだけ怠けているということであっても、自分は他者に害を及ぼします。しかし、私達は、自分が誰も叩いてもいなく、誰も殺してもいなく、誰からも盗んでもいないというのなら、全てが大丈夫であり、それ以外に何をしろというのだと思っています。私達は、完全に「善良な市民」であるという最中にでさえも、害を及ぼすことが可能であるということを理解していません。これではスピリチュアリティーの中ではまったく不十分です。スピリチュアリティーの中で、もし私が全瞬間を費やしながら共通のスピリチュアルな器を如何に構築するのかと心配していないのなら、他者に対する善い態度が、自分に欠けていることになります。私は共通のKliについての心配を忘れたその瞬間に、犯罪者になるのです。

これに中間の状態などはありません。そこには「善」または「悪」しかないのです。これは私達の繋がりの上層体系の法則です。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 04/27/10, “Matan Torah”


動物の世界 vs 人間の世界

ラビ・アキヴァは「自分のようにあなたの隣人を愛しなさい。それはトーラーの偉大な規則である!」と言いました。なぜ隣人に対する愛が偉大なルール、つまり私達を動物か人間のカテゴリーに二分割する基礎を成しているのでしょうか?もし自分自身を愛しているのなら、私は動物ということになり、もし隣人を愛しているなら、私は人間ということになります。動物としての私はこの物質世界しか知覚しません。しかし隣人を愛し始めるとき、私はクリエーターとスピリチュアルワールドを知覚します。

スピリチュアリティーは、スピリチュアルな器、またはKliと呼ばれる、愛の力の中で感じられます。今の自分の器は、利己的な愛、自分自身を愛したいという願望です。現在知覚している世界とは、この願望の中で知覚されます。この利己的な現実の中で、私は自分に対して良いものか悪いものしか明らかにしません。

私は、世界及びその光を遮る様々なもの全部を、自分自身に関連させてしか明らかにしません。世界にある色や音のすべても、自分にとって有益か有害かによって決定されます。私は、ある一つのものに対して恐れをなし、それとは違う何かを求めるのです。私はあるものに反発し、その他のものを引き寄せるのです。すべての影響は、自分自身に対する愛を中心に機能している、自分の感覚の中で明かされます。したがって私は、自己愛に関連しないものに気づきません。私は単にその存在を認知しないのです。

事実、私は[今現在も]無限(Ein Sof)に直面していますが、それを感じません。それは自分に対しては存在していないように見えます。なぜなら、それが私を気持ち良くも悪くもしないからです。利己的な愛は自分の知覚する宇宙の大きさを決定します。よって、無限世界の外側で私はほんの小さな範囲、つまり自分の世界しか感じていないのです。

私が自分自身の外に出はじめるとき、私は自分の以前の願望の中で、他者に対して良いものと悪いものを感じます。言い換えると、自分の隣人を愛しはじめるということです。これを上層のスピリチュアルな世界と呼ぶのです。それを明かすとき、私は全く違う宇宙を明らかにします。

もし私が自分自身に対する利己的な考えに注意を払わなくなり、自分の友達について考え始めるのなら、たとえそれが全く物質的な意味であったとしても、私は全く違った世界と問題と解決策に気づくでしょう。私が自分以外の人に対して良い事を明らかにする時、それが自分と関連して「上層のスピリチュアルワールド」と呼ばれるようになります。人はその人の物質的で利己的な世界と同じものも見ますが、私がその人の現実の中に入り込んでそれに包まれ、その人の世界をその人の中から明らかにしたいと切望するとき、それは自分のスピリチュアルワールドに変わります。

この訓練が私を自分自身の外に出させ、クリエーターを感じさせます。私はクリエーターをあなたの中で感じるのです。「クリエーターは彼の国の中に存在する」と記されているように。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/26/10, “Matan Torah”


酸素の出るボタン

受け取った質問:もし人がその人の環境を超えたとしたら、その人は環境に影響を与えてそれを是正することができますか?

私の答え:人は、その人の環境を超越することはできません。その人は完全に環境に依存しています。たとえその人の環境が無知な人々から構成されていて、その人が偉大なカバリストであったとしても、やはり、それらの人々がその人に影響を与えます。

想像してください。果実を豊富につける大きな樹があるとして、それを引っこ抜き、砂漠のど真ん中に、植えたとしましょう。その樹はどうなるでしょうか? その樹は砂漠を花の咲く庭園に変えるでしょうか? 樹がその環境に依存するように、私達の魂も私達の環境によって決定されるのです。

創造とグループと個人作業とクリエーターの目的とは、一つの同じ点の中にあります。全人生がこの点に依存していて、それを明らかにしなくてはならないということを想像してみてください。それはすべての瞬間にあなたの生と死を決定しているのです。それとの類似性を引き出すとするなら、例えば、酸素の出るボタンを押さないと息ができないというようなことです。もしあなたがそれをしないのなら、(そして他者と繋がらないのなら)、酸素があなたに供給されることはありません。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/18/10, Article “The Freedom”

全てを備えた繋がりのシステム

私が授与の為の是正を切望する事ができるのは、唯一環境がこの事において私を支援してくれるときだけです。授与をしたいという欲求は、唯一自分が他者と繋がっている時に顕現して機能します。よって私には彼らの支援が、「相互保証(mutual garantee)」という形で必要になります。私が彼らを支援する程度にまで、彼らは私を支援します。これは一つのシステムです。わたしがそれを稼働する程度にまで、私はそれから得るのです。

グループに加わって他者と繋がりたいと望む事で、私は反対に自分に向けられた反応を誘発します。その他者が私達の繋がりに於ける正しい形を、私がそれに気づく事さえもないまま、私に受け取らせてくれます。私達が一つのネットワークの中に住んでいるという理由から、彼らは私に、私達が有する繋がりのタイプを示してくれるのです。

この繋がりは、授け与えたいという単なる欲求ではありません。それはむしろ、私達の絆を強固にする保証です。これは私の依頼によって生じるのです。そのあとで、私は自分が用意した器(Kli)- 613(Taryag)の要素から成る、用意された繋がりのシステム – を持って、彼らに依頼します。私はそのことを知らないまま、その全システムを起動させます。したがって、私達はお互いに繋がることにより、私達の間にシステムの全体を受け取ります。

「相互保証(mutual guarantee)」とは、とても深い概念です。それは生命と、私達の繋がりに於ける内面的なシステムについて言及しているのです。私達がしなくてはならないこととは、単にそれを私達の内側から取り出して、使い始めるということです。

そうでないなら、自分は他者と繋がりたいと叫ぶことはできますが、そのやり方をどうやって知る事ができるのでしょうか? 自分は全ての人とその一人一人に繋がる方法を理解しているのでしょうか? その訳は、自分が彼らを目覚めさせることによって、彼らが自分に対して影響を及ぼし、我々の繋がりの形態を自分に受け取らせるからです。彼らはその事について気づいているかもしれませんが、それは重要な事ではありません。どっちにせよ私達は、この繋がりのシステムを起動させるのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/25/10, The Zohar

内部の衝突型加速器

私が受けた質問: 私たちが生きる映画の境界を超えて何かを出来ますか? 私たちに台本を“改善”することは出来ますか?  

私の答え: 台本の傍らに、“内面的な科学”を探求する機会があなた自身を学ぶ事によってもたらされます。私たちは心理学、文化、社会学、または政治などの“外面的な科学”に勉強を制限するべきではありません。これら全ては私たちが認識する世界の“外面的な形態”です。これらの科学は世界の事をあまり語らず、私たちが数々の誤りを犯す理由なのです。これらの科学はこの世界の法則を明らか出来ず、そしてまた、私たちが経験する変化の方向を示してくれないのです。

心理学者、社会学者、政治家、その他の者は個人的な基準と目標、見解に従った“外面的”な状況を描いているのです。それがゆえに私たちはカバラの知恵が絶望的に必要なのです。なぜならそれは私たちをもっと深く、“基本的な分子”のレベルまで内へと向わせる事を可能にし、私たちを成す真正の物質を調査出来るからです;それは主観的な心理的空想より真理に近いのです。

もし私たちが自らの内へと更に深く向かい、私たちの中で何が起こっているのかを最も深いレベルで理解し始めたとき、私たちは過ちをを犯す事がなくなります。玉ねぎの皮の層のように私たちを覆う殻、様々な外側の世界の形態を全て突き破れば、私たちは自らを信用する事を学ぶ事が出来、何が、又なぜ起こっているのか、何が私たちを前進させるのか、何が有益で何が有害なのかを理解できます。

これは人が内を見る能力を得た場合のみ可能になります。“外面的な科学”の領域以内でこの結果を成し遂げる為には自らの内面的な視界を使って粒子加速器を造らなければなりません。衝突型加速器は自分の内にあるのです。衝突型加速器として機能すべく、私は自らの内で作動する力を知覚できる程の正確さを達成する必要があります。

これがカバラの知恵によって達成可能になる事です。この段階に到達してのみ創造物の起源、その中における私たちの立場、私たちが何処へ向かい、何処へたどり着くのか-私たちの全体の進路が理解できるのです。そうする事によって私たちは自らを正しい方向に向け、誤りを犯す事を止めます。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/15/10, The Zohar

光の“息”を感じる

私達に必要な是正、そして充足のすべては光から要求することができます。私達の想像できること全ては、既に光の中に存在しています。なぜなら、それが私達を創造した根源であるからです。

私達が私達の活動(勉強、グループ作業、カバラの普及)によって光を引き寄せる時、光は私達に作用し始め、それからしばらくすると、私達はまるで何か未知なものに遭遇しているかのように感じ始めます。これは光が私達に近づいていることを意味します。たとえ私達にそれがまだ見えないとは言え、私達には“息”(Ruach)がかけられ、それを感じます。そうすると、私達はこの光の感覚を失いたくないと憂慮し、ある一定の行動をしはじめます。

光が消え去ることを恐れ、私達はそれとの関係を築き始めます。私達がそれを失いたくないのなら授与しなくてならないことを光が知らせるので、それは授与の関係であるといえます。私達はエゴの外に出ることを可能にする特質と意図を持とうと努力し、常に自分たちをチェックし始めます。そして、そのあとに私達は光が私達の回り又は内側にあることを感じるのです。

このようにして人は、喜びを受け取りたいという先天的な願望の上に“影”を築きはじめるのです。光は「私を感じたい? そしたらこれをしなさい。さもなくば、私はあなたから消え去るでしょう・・・」と伝えるかのように、私達の訓練の指揮をとります。”影の中”に留まることがその人の“癖”(第二の天性)になるまで、徐々にこの“ゲーム”が私達を指導してくれます。

その第二の天性を獲得したなら、既にその人は“影の中”に留まることを望んでいます。彼はこれが特別な状態、彼の個人的な計算を超越する“上昇”であると感じます。したがって、“Lo Lishma”から“Lishma”に来るのです。彼はこの状態が永遠性と完璧さをにじみ出させる(それが彼にとって良いという意味)と気がつきます。彼はその状態そのもの——まさに他者に対する授与と愛の特質——に価値を置きはじめるのです。

光が近づいては離れるというこのゲームを通し、この全ては光によってなされています。そして、それは最初光の方の側から影を投げさせ、その後に人の方の側から影を投げます。最初その人は自分の利己的な願望を隠し、そのあとに、光が隠れるというように代わりばんこで行われるのです。このようにして人は段々と自分エゴに対抗するスクリーン(Masach)を構築するのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/16/10, Shamati #39

私達はカバラを広めるだけで、残りは上層の光がしてくれます

受け取った質問:現在世界中で多くの人が、私達のカバラの学習に加わっています。新たなグループが様々な都市で雨後のマッシュルームのように育っています。彼らの世話をどのようにすべきですか?

私の答え:私達はただ彼らに模範を示し、一緒に成長しなくてはならないだけです。私はこれにおいて何の困難も心配してません。生命を止めることは不可能です。私達は皆、木が石の中を押し進むのを見たことがあります。それは光への道を見つけ出し成長するのです。

それと同じことが私達の状況にも適応します。もしも人が真正なカバラの情報源から少しでも光を受け取ったのなら、それは突破し成長し始めます。人々は自分自身で学習センターとスタディグループを見つけるでしょう。彼らは私達を手本にして進化するでしょう。

私達がしなくてはならないことは、カバラの知識をできるだけ多くの人に届くように広めることだけです。それに続いて起こるその発達の形は私達が決めるのではありません。これは自主的な発達です。私達に課せられた唯一の仕事とは、人を発育させてグループを築き上げるカバラの原理に従うことだけです。私達は単にその資料を広めるだけでよいのです。残りはすべて上層の光がしてくれます。

私達は人々に本を与えることで上層の光とのつながりを作り出します。これらの本は改善する光を通させ、人々は成長し始めます。それは全世界で起こるでしょう。それが指数曲線のように急成長することを願いましょう。

From the 3rd part of the Daily Kabbalah Lesson 4/14/10, Article “Exile and Redemption”


全世界は自分を補助する為に創造された

受け取った質問:もし私がレッスン後、一日中スピリチュアリティに集中出来ない場合、どうすればいいでしょうか?

私の答え:人は色々な時期を経験します。カバラを何時間勉強しても充分と感じない時もあれば、それから離れ、努力する事を止めてしまう時もあります。

しかしながら、長期的には全てが私たちの為に可能なかぎり最良な方法で手配されているという事が見えてきます。そしてもし私たちが自分の自由時間を正しく使えば、クリエーターは私たちが勉強した事を現実化するための時間を更に用意してくれます。私たちはあらゆる問題に遭遇します:私たちの作業から気を散らすもの、上司との問題、共感しない環境、さらには私たちの思考や欲求の中に於いて気を散らすものも。これらの困難にもかかわらず、なおまた私たちはスピリチュアリティと繋がっていなければならないと感じます。

クラスが終わると、私たちはスピリチュアリティから得た印象をぬぐい消し困惑させる「大きな世界」に戻らなければなりませんが、これらの環境は私たちの向上に最も効果的なのです。私たちはスピリチュアルな世界と繋がり続ける努力をし、これら全ての問題の根源を心に焼き付けておく必要があります。それらがなぜ私たちに送られてくるのか、それに加えて、私たちは何に付着する事になっているのか、そしてその理由、つまり「善をする善である、彼以外に他は在らん」ということを覚えておくことです。私たちは愛する大切な人とまめに連絡取り合うように、常にクリエーターとの内なる繋がりを感じなければなりません。

この状態を保持する努力をして下さい。あなたはこれら全ての不運な状況はクリエーターがあなたへ、仮想的世界の中での苦しみと幻想を通じて彼と繋がる機会を与えてくれていると感じ始めるでしょう。

あなたはこの世界が「作り上げられたもの」で、それが単なる外側にある殻であるという事を理解し始めるでしょう。困難は自分の中で常に変化する欲求の形態であるという事を感じようになるでしょう。それらはクリエーターに「接続」しなくてはならない欲求であり、もしそうしたなら、それらの欲求はスピリチュアルな形態に変化します。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 4/13/10, The Zohar

永遠の呼吸のフィーリング

受け取った質問:あなたは、カバラが人を永遠の命に至らせると言いましたが、カバリストは死にます。ならば、これがどうして可能なのですか?

私の答え:カバリストはあなたの視覚の中で死にます。なぜならあなたは彼の命をカバリストが見るようには見ていないからです。あなたは彼の一部しか見てません – 他の動物がそうであるように必ず死に至る彼の肉体のことです。しかし、彼の中で発達した神のようなスピリチュアルな部分は、永遠に生き続けます。人がこの部分を獲得すると、その瞬間からその人はそれを所有し、それは永遠の存在の感覚を与えます – その人が獲得した授与の特質は永遠なのです。

私達はMachsomに近づきながらでしか、これを理解し始めません。それは授与の徴候が私達の中で現れるときのことです。人に届き始める光(the Light)は、彼に、物体を超越して授与の視点から他者に関わるといった考え方の変化が意味することの感覚を与えます。人はまだ授与のなかには存在していませんが、彼は既になんとかしてそれに接することができるのです。そのあとに、彼は、この永遠性に属している感覚といった特質に順応する徴候を得ます。

これが起きる前には、人に理解する能力はありません。光がまだ彼に十分に近づいていなく、語句に意味がないからです。人は食べて休みたいと思いまが、永遠はあまりにも遠くにあるように思え、彼はそれを感じません。人が、はためく風のように、光の呼吸を遠くから感じ始めるときにだけ、彼はカバラに死の天使からの解放があることを理解し始めます。もっと光が人に近づくとき、それは永遠が存在するといった感覚をその人にもたらすのです。

これは私達が行える自由な行為の最初の条件です。そうでなかったら、なぜあなたに自由が必要なのですか? 動物的な肉体の人生のなかで、それ以外にあなたがすることはあるのでしょうか? 他の全ての物事は、あなたの為に上層からなされています- あなたはそれを自分でしているのではありません。自分の力であなたができる唯一のことは永遠に到達することだけです。授与(与えること・授けること)は永遠ですが、受け取ることは一時的であり、つかの間です。Hochmaの光は永遠に私達に訪れることはありません。それは唯一Hassadimの光の内部でしか知覚されないのです。したがって、私達が永遠を手にする為には、まずは、授け与えたいという願望を獲得する必要があります。そして、そのあとに、この願望の内部で私達は人生が永遠として感じれるようになるでしょう。

毎日のカバラレッスン 2010年4月15日 第三部 論説『自由』より)