知覚範囲を広げる―正反対なもの両方が真実になることがある

イサクはアブラハムと正反対に成長する力であり、彼に反する助けとしてアブラハムに仕えます。私達は、スピリチュアリティが、以前に私達が考えていた1つだけの力ではないことを発見しはじめます。2つの正反対の意見が共存し、その両方が真実になることがあるということを理解する能力は、私達にはありません。それはまだ理解されていませんが、まさにこの衝突と争いの中で、真実が明きらかになるのです。私達は全てのものが分かり易く明確に定義されるべきだと考えます。

しかし、私達は物事において最初に知覚したときのような明快さがなくなることを実感しはじめます。私達が「イサク」の特質を扱いはじめ、それを是正しはじめるとき、物事において以前私達がエゴイズムだけを使って知覚していたときのような分かり易さがなくなることに気がつきはじめるのです。言い換えると、私達のエゴイズムを通して見た全てのものは、楽しむ願望と、願望の反対側にある喜びであったのですが、今や私達は左の線と右の線があることを知るのです。そのうえ、その両方が真実で正しいのかもしれなく、このことが私達の進歩を助けます。そのもう一方で、その両方は互いに矛盾し合うかもしれませんが、それにもかかわらず、その両方には創造のなかに居場所があるのです。その理由はそれらが両方ともクリエーターにつながっているからです。

実際には「イサク」と「アブラハム」の特質の両方は私達の内面に含まれています:クリエーターから離れて存在し、創造物としての存続を可能にする、自分自身の受け取りの特質があり、その上にはクリエーターから獲得する授与の特質があるということです。ということは、人間の内面の中には、いつまでもこれら2つの力の対立が存在し続けるのです。したがって、唯一イサクを高めることによって、アブラハムはクリエーターに関する自分の本当の位置を理解するようになるのです。これが何故「息子」(Ben)が、新たな段階、Binaである「理解」(Leavin)を意味するのかということの理由です。


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