すべては私達の特質なかで描かれている

『ゾハール』VaYaera(そして主が現れた)章 94節:彼らは人々の形で地上に降りてきたので、もちろん彼[アブラハム]は彼らを見た。彼らは確かに聖霊であったが、世界に降りて来るときは、空気と、覆う物と、包む物の要素をまとい、人々にとってまさに彼らの形で見えるのだ。

これには違う解釈の仕方があります。私達は現実を喜びを受け取りたいという願望のなかで知覚します。存在しているものとして私達が知覚するすべてのものは、物体のなかで顕現された喜びを受け取りたいという願望です。“物体のなかで顕現された”とはどういう意味でしょうか?その意味は、現実が私の存在する段階における感覚のなかで知覚されているということです。

この段階以上に知覚するには、人の特質の変化が必要とされます。私は自分の願望の中で、自分が光と相似している程度、光を知覚するのです。それは様々な像と形を私に映し出します。“私はこの世に存在する”とは、何を意味するのでしょうか? その意味は、光が私の特質の中で輝き、そのなかに私が見るものが自分の現実であるということです。

もし私が光にもっと照らされ、自分の特質が変化するなら、私は、光により近くて特質においてより高い段階に上昇します。光が私のより是正および改善された特質の中で輝くことで、光はさらに高いはしごの踏みこ、または上層世界、を私に知覚させます。すべてのものは人間の特質の中で描かれているのです。


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