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Binaの力は私達の間に存在する

受け取った質問:MalchutBinaの合体と、『ゾハールの書』を通じて私達が一体化することの関係は何ですか?

私の答え:もし私達が共に結ばれたいのなら、Binaの力、クリエーター、HaVaYaHが私達の間に存在していることを信じなくてはなりません。全ては魂たちのに啓示されるのです。これが、なぜ個人のエゴイズムを超えたところでの全員の一体化が、MalchutBinaを合体させるパワーであるのかということの理由です。

Binaはクリエーター、上層の母(Ima Ilaa)、私達の間に存在している上層の力です。したがって、私達は自分達の力だけで結束することはできません。私達が自分達の間に発見するものは空しさと暗闇だけであり、人々の結束は実現不可能に思われるでしょう。

しかし、もし私達がBina、上層の光、又はクリエーターの存在を私達の間に認めるなら、私達は彼を明かし、に私達を結びつけるよう頼まなくてはなりません。そして唯一私達が本当に彼—私達の間の空っぽの空間を満たして存在している力—のようになりたいと心の底から切望しているときにだけ、クリエーターはそれに応じて私達を結びつけることができるのです。

彼は、私達が彼を明かせるよう、私達がスープのなかのクルトンのように彼の上に浮かんでいる状態に私達を創造しました。もし私が自分自身(のエゴイズム・利己主義・自己中心性・自己愛・自分本位であること・わがまま)の外に出てきて、彼—授与の特質—と結ばれたいと願っているのなら、それはMalchutBinaと結合しはじめていることを示しています。

自分に自分自身の外側で存在する用意が整えば、Bina、クリエーター、または改善する光の力は自分に作用し、その実行ができるようになります。そしたら、私は本当に自分自身の外側に出れるようになり、他者と結束するようになります。しかし、そうすることによって、自分が彼らに直接つながるということではありません(それは不可能です)。そうではなく、光、Binaを通じてつながるのです。

どのようにか? 私がBinaにつながり、そのあとにBinaのパワーが自分に“もどってくる”のです。その意味は、MalchutBinaの性質をその中に受け取り始め、そのあとにMalchutが授与のためという意図をもって機能するようになるということです。Malchutがそのパワーを所有している程度にまで、それは他者のパワーを感じ始めるようになります。

私がBinaのなかに来て、Binaから授与の性質を受け取ることを“恐れからの後悔”(repentance from fear)と呼びます。自分の是正されたMalchutと共に自分自身の外側に出て、他者と共に働き始めることを“愛からの後悔”(repentance from love)と呼びます。


カバラの科学の本質:概要

カバラの科学は、上層の力がこの世に降下する順序と、その上層の支配力(クリエーター)が人間に啓示されることに向かっていることを説明します。

個人の法則(particular):全人類に対する上層の力の共通の啓示の前にでさえ、この状態に到達できる選ばれた少数の個人がいます。

全員の法則(general):全人類は、その発達(進化)の終わりに、上層支配力の啓示に至り、それを獲得(達成・到達)しなくてはなりません。クリエーターを獲得する道を学びながら、カバラは、上から下への(つまり、無限の世界からこの世への)「5つの世界の降下の順序」を探るだけでなく、同様に、それらの世界の降下によってできた度合い(段階・階層・階段・梯子・階級・位階)を下から上へ昇ることによる「上層の力の獲得(達成・到達)」も探ります。

支配力の獲得はエゴイズムの是正次第であり、それは漸進的に私達の感覚のなかで感じられるようになります。上層力は、その上から下への降下によって制定された法則に従いながら、徐々に獲得されなくてはなりません。

カバラは私達が感じることのできない世界(領域)の勉強です。最初にカバリストはこの世界を感じ、そのあとに、その認知(知覚・認識)を呈します。上層世界を感じることができない人々は、カバラが抽象的で現実から分断されたものを研究対象にしていると考えます。しかし、それはむしろその逆です。カバラはリアルで達成(獲得・到達)可能な現実のみを説明するのです。

全ての物事は5つのパラレルワールドのなかで、上から下に向かって明かされ、これらの世界の違いはその構成要素である願望の特質のみにあります。しかしながら、それらの物体と形態(形状)は刻印の跡のように同じです。上層世界(根)の全詳細は、私達の世界(枝)に反映されています。根がその枝における全てをコントロールするのです。

枝の言葉(言語):枝の言葉はカバリストによってつくられました。そして、その言葉は私達の世界の各枝が有している上層世界にあるその根との繋がり(関係)に基づいています。しかしながら、この言葉は、その根を感じる人々によってしか理解されることがありません。上層力の獲得(達成・到達)に対する強い願望(切望・渇望・あこがれ)は、光を根から枝へと照射させ、これによってその枝がその根の度合いにまで是正(修繕・修復・更正)されるのです。

後ろを振り返るな

受け取った質問:あなたはいつも私達に、ロトの妻がソドムに振り返り、塩の柱になったように、私達は後ろを振り返るべきではないと警告します。これであなたが意味することとは、コングレスや普及活動の後に私達が活気づけられたときに、それについて考えるのではなく、前方、次の段階に向かって奮起するべきだということですか?

私の答え:後ろを振り返らないということは、昔の状態にあることを望まなという意味です。しかし、これは、過去があたかも存在しなかったかのように、それを切り捨てるべきだという意味ではありません。私達は今日のより良い状態に居続けるために、昨日から学ぶべきです。しかし、昨日の状態ではなく今日の状態にいることを望むべきなのです。これが“後ろを振り返るな”ということの意味です。

しかし、これはソドムとは関係のないことです。ソドムとは、人間が既に欠陥状態として明らかになった過去の段階に本当に戻りたいたい時のことです。私達はそれに帰ることはもうできません。もし私が自分の前の状態が不完全で、是正、ゴール、授与への前進に不適切であると決断したのなら、自分に選択肢はありません—私はそれを捨てて前に進まなくてはなりません。

後ろを振り返る人々も存在します—彼らは過去の状態のなかで”小さい”ままで居続けることを望んでいます。これは発達に反しているため、私達がこのように行動することは禁じられています。私達はその代わりに常に将来に向かって移行することを待望しなくてはなりません。このための手段がグループです。もし私がたとえ少しでもグループと適合しようと努力するのなら、クループまたは自分がどんな状態であろうとも、常に自分の将来の状態をそれから獲得するでしょう。したがって私達には、後ろに戻るのでなく前に進む機会がいつもあるのです。