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統一体に到達するための機会

共通の魂の破壊は本当に大きな事でした。クリエーターはその破壊を通じて私達に、私達が存在して私達自身を表現するための機会を与えました。結局のところ、もし共通の魂の各部分が互いから引き離されることがなかったなら、私達はクリエーターのイメージを描くことも、私達自身を他者に関連させて知覚することも不可能でしょう。さらには、1つの統一体の中で何かを識別することは不可能であるため、私達は光のなかで単に消えてなくなっていたでしょう。

創造物が1つの統一体のなかで存在することはできません―私達と私達以外のものがあるときにだけ、私達は存在できるです。私達の知覚は、私達の間に距離があるということの結果から生じています。私達は純粋な光または完全な暗闇の中で達成できるものは何もないのです。

これゆえに、破壊が私達に、存在における達成と体験の機会を与えるのです。もしそうではなく、私達が絶対的なものや完全な暗闇のなかにいるとするなら、私達には何も感知するものがなくなり、私達が存在していることも感じることはできないでしょう。この理由は、私達のすべての感覚が二つの反対のものに対する知覚に基づいているからです。例えば、物音と静寂、または、臭いと無臭などです。もし私達のすべての感覚器官の中が“静寂”であったら、私達は私達自身を認知できません。

したがって、破壊はまさに創造物に存在とそれ自身の知覚の機会を与えるために起きたのです。これはまさに神の特許です。私達は破壊が起きた場所の空間を埋めています。お互いの間にある光との距離のように一見映っている、その破片の間にある空っぽの空間を、私達は埋めているのです。しかし実際は、私達に最初と同じ統一状態に自主的に到達する機会を与えるために、クリエーターが1つの統一体から消え去ったのです。


ラシビの体系は共通の魂を復活させる

ゾハールの書の著者のラビ シモン・バー・ヨハイ(通称:ラシビ)の前に生きていたカバリストらは、共通の魂の体系の中の、より高い段階の是正を行いました。ラシビの体系は私達に直に繋がっており、私達はこの理由から『ゾハールの書』を主な資料として扱っているのです。破壊された魂の体系内で是正を行う事により、カバリストらはその中で特別な繋がりを築きました。それは全般的な是正のための準備です。彼らがこの体系内で確立した繋がりの経路を通じ、それに光をもたらすことにより、彼らはこの体系をよみがえらせます。

したがって、今、私達は上昇し、自分らをこの体系の中で是正する事ができます。魂はそれ自身を是正する事により、それ自身が変わるだけでなく、その是正を他の全ての魂にももたらします。けれども、ラシビの魂のように、是正において主要な役目をする魂も存在します。そのような魂は、特定の段階を完成させ、その後に続く全ての是正のための基盤を準備するのです。

私達には、是正した魂が体系の中における何らかの孤立した部分のように思えます。しかし、これは間違いです。魂の体系の全体は、ホログラムの像のように統合したものであり、各部分に全体像が含まれています。そして、その一方で、すべての部分は、全体像とその各部分にもあります。私は魂の体系の部分であり、体系の全体が私の中にあり、そして、私はその体系の各部分にも含まれているということです。

魂は全体の構成単位ではありません—魂は創造の全体系のなかに“拡散”しているのです。それはその特質と一緒に、無限世界のMalchutの全部に広がります。これは私達全ての人に当てはまることです。各々の人が他の全ての人の不足を満たすとき、私達は一つの大きな魂の球体を獲得し、そのなかでラシビの体系がその是正をもたらす働きをします。私達はこの体系を通じ、私達を満たして是正する光を受け取るのです。