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スピリチュアルな平等

私達の世界には、世界がどう機能しているのか全く知らない人が大勢います。彼らは、社会システムや行政機関の構造、自然法則、惑星が太陽の周囲を軌道を描いて回っていること、そして人々の間にある様々なつながりについて知りません。人々は、日ごとに暮らすために必要なことだけを知り、世界がどのように機能しているのかもっと知りたいという情熱を持つこともなく、非常にシンプルな人世を送ることができます。対照的に、私達の世界には大きな興味を持ち、多くを知りたいと思っている人々もいます。そして彼らは世界に影響を及ぼしている様々なシステムについて研究します。

スピリチュアルな生活についても同じことがいえます。スピリチュアルな知覚を獲得する全ての人々がスピリチュアリティーについて深く研究しようと努力するわけではありません。彼らは魂のルーツによって生まれつき制限されていて、そのレベル以上のことを要求しません。言い換えると、それがその働きをそれの意図された場所で成し遂げれば、それ以上は必要なことがないということです。

魂のルーツは、スピリチュアルワールドを研究することになっている他の人々から、より多くを要求します。これらの人々はカバリストたちです。私達の世界を研究する科学者と同じように、カバリストたちはスピリチュアルワールドの体系全部を詳細に研究します。カバリストたちはスピリチュアルな達成と知覚を完全なものにしにくることになっているのです。これは彼らの魂のルーツに基づくもので、それがカバリストたちにすべての人を彼らの中に包含させ、彼らの魂を是正するために、統合と分析を通じてスピリチュアルワールドの中の細部のすべてを詳細に調べさせるのです。人は、その人の魂が是正を要求する程度に一致する総合的な現実を知覚します。

また、人は、その人が自分自身を是正した程度によって裁かれもします。もし人の是正が100%であるなら、その人は偉大なカバリストたちと同等であり、彼らの全てのことにおいて等しいのです。スピリチュアリティーのなかには、人の重要性で人々を分けるものはありません。問題とされることは、その人に要求されているすべてのことを成し遂げたかということです。

スピリチュアリティーとは授与(与えること)の世界です。そこへのアプローチの仕方は私達が普段なれているものとは少し違います人はスピリチュアリティーの中に入り、振り返ると、自分のしたことが何もなかったことに気がつきます! かつて争って手に入れたもの、またはその人が行ったことなどで、残るものは何もありません。よって、人は純粋な授与によって囲まれることになるのです。

我々の是正を通じて世界に影響を及ぼす

受け取った質問:ゾハール集会2010の後に、私は人々を助けたいと思うようになりました。これに関してできることを私が最大限にやっているのか、どうやって自分を確かめることができますか?

私の答え:究極的な援助とは、人が自分の存在している全時間において自分と世界の是正について考えようと試みているときです。

結局のところ、破壊は最初に世界で起き、そのあとに共通の魂のなかで起こりました。そして今や壊れた魂が壊れた世界の中に存在しています。是正(修繕・修復)はカバラの方法によってでしか可能ではありません。それは上層の光を寄せ付け、私達の行動にたいする意図を利己的なものから利他的(愛他的)なものに変化させます。全宇宙を創造した同じ力、同じ光りには、私達に影響を及ぼしてすべてのものを正す必要があるのです。

したがって、完全な救済に到達するまで、私達はカバラの科学の普及活動によってでしか他者を助けることはできません。しかし、世界の是正が依然として必要な間は、世界に是正をもたらそうとする努力が必要です。ゾハール集会の間に私達は私達の相互的合一から大きな力を受け取りました。なぜなら、私達は一緒により良い理解と感覚に到達したからです。

そして今や私達は自分たちと全世界に対する総体的な是正のために、非常に大きな活動を行わなくてはなりません。前進が許されたことはまさにこの目的のためであり、それ以外の理由ではありません。もし私達に私達の是正を通して世界に影響を及ぼすことができなかったとしたら、誰も私達が受け取ったもの―この集会に参加する機会、何かにたいする理解または感覚―を受け取ることはなかったでしょう。