私達に必要なものはハサディムの光だけです

受け取った質問:なぜホフマー(Hochma-知恵)の光を明かすことができないのですか?

私の答え:なぜなら、人にはハサディム(Hassadim-慈悲)の光が無いからです。人にあるものは受け取りたいという欲望だけであり、それはホフマーの光から喜びを受け取ることができないため、ホフマーの光の中で人は良い気分(気持ち)になれません。ホフマーの光は利己的な欲望や願望の中では感じ取れないのです。それはハサディムの光-授与するという意図(直射光における4つのステージの中のビナー-Bina)-が存在する分量だけしか明かすことができません。

人は無限のクリ(Kli-容器、受け取りをする意志)とその中に無限のホフマーの光を持つことができますが、もし人にハサディムの光がないなら、完全な暗闇-“地獄”と呼ばれる状態-を経験します。ホフマーの光の小さな閃きでさえ、ハサディムがないのなら、人はそれを苦しみ、病気、災害、危機、のように感じます。

私達はクリエーターの慈悲によって、ハサディムの光に包まれたホフマーの光の小さな感覚を与えられています。これは私達に命の感覚を与えます。だから私達はハサディムの光を獲得して最大限のホフマーの光の啓示に到達するために、存在して発達することができるのです。

クリエーターは私達と“遊ぶ”ことによって私達を成長させます。彼が私達にホフマーの光を照らすとき、私達の気分(気持ち)は悪くなります。しかし、それがなされる理由は、ハサディムの光(スクリーン、Ohr Hozer-反射光、授与の意図と愛)が必要であることを私達に理解させるためです。そのあとに、私達はスクリーンで直射光を反射することにより、ハサディムの光に包まれたホフマの光を明かすでしょう。

長い年月をかけ、ホフマーの照らしの度合いによって決まる打撃(苦難)を受けることによって人は問うようになります。「なぜ私は苦しんでいるのか?なにが起こっているのか?人生の意味とは何なのか?」と。そのあとで、その人はグループ、先生、そしてカバラの学習に導かれ、そこでその人は自分に必要なものがハサディムの光だけであると徐々に分かるようになります。

この理由から、カバラの科学は私達に授与のスクリーン(授与の意図と愛、Ohr Hassadim-ハサディムの光)の築き方を教えるのです。私達がどれくらい授与することができるかによって、クリエーターも授与する者(One who Bestows)として私達に啓示されます。ゲストとホストの事例のように。

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