想像は成長を促します

クリエーターは私達に、私達が内側から私達自身を知覚しているということだけでなく、私達の周りには私達を見て私達に注目している人々がいるということも信じさせています。しかし、これは幻想であり、偽りです。存在しているものは私達の内側(内面)にあるだけで、外側には何も存在していません。では、なぜ私達にはこれらの付加された外的な印象があるのでしょうか?その理由は、それらを通してクリエーターが私達のケリム(KelimKliの複数形。器・容器のという意味。つまり受け取りの意志、欲望のこと。実際に創造されたものはこれだけです。)を拡大し、私達を動物のレベルからその上の人間のレベル-“アダム”(アダムとは“クリエーターの様な”と解釈されます)の階級-に押上げながら私達の新たなレベルを構築する為です。すべては私達をクリエーターに類似させる為なのです。

 私達は、クリエーターが私達の外側に存在すると考えており、さらには私達が私達の外側にいる人々と接触、コミュニケート、交流していると考えてもいます。私達はクリエーターを私達の目の前に想像しますが、のちに私達はクリエーターを内側に移転し、“彼”(クリエーター)と結合します。そのあとは、私達の目の前に何もなくなります。私達が彼と一緒になって統一体になるからです。

 しかし、それまでは、私達は彼が私達の外側に存在するものとして想像します。これは人を誤らせるような外観であり、私達のケリムを“外的なもの”と考えさせ、私達の欲望(願望)のアヴィウット(Aviut-粗悪さ、粗野さ、粗大さという意味。英語では“coarseness”と訳される)をいっそう獲得させます。こうようにしてエゴ(私達が私達自身を他者に関連させて知覚させる欲望、または他者が私達に関連させて知覚させる欲望)は、私達が“上層の者”の特質を獲得する手助けをし、私達は彼のようになるのです。私達が唯一しなくてはならないことは、このイメージ(像)を外側から内側に移行させることです。そうすれば私達は彼と結合します。

 それでも、まったく違うことが是正の最後(Gmar Tikkun)のあとに起こるかもしれません。カバリストは私達の是正の最後とは単に新たな状態の始まりであると記述しています。私達の欲望(願望)を正すことによって新たなフェーズが始まるということです。これは時間が証明することでしょう。

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