一人で達成できることは何もない

私は自分一人では、存在していません。全魂の単一体と呼ばれるメカニズムに自ら自分自身を注ぎ込んでやっと存在するのです。この理由から私はゾハールの書を通して自分自身を開きたいと思っているのです。なぜならゾハールの書の力が、まだ私に無縁に見える自分の全部分を繋げるために送られてくるからです。

ゾハールの書は厳密にこの為に意図されたものであり、この使い方以外に自分がその一筋の光の下に来ることはできません。この光線はレーザーのようにとても細く、1ミリでも向きを変えればそれを見ることはできません。その光線を影響を受けるには、この光線のなかに正確に居なくてはなりません。

カバリストは私達にこの条件についてつぎのように説明します。もし私達がすべての魂と正しい方法で繋がったなら、私達は私達自身をこの光線のなかに置くことになる。団結が崩壊すれば、すぐにすべての人が崩壊し、全方向に散らばる。この光線の他に私達を団結させれるものはない。

これはスピリチュアルな梯子のすべての階で起きることであり、私達はこの光線に沿ってでしか、それを登ることができません。私達がお互いのことを離してしまえば、すぐにすべてのものは崩壊し、その一筋の光は私達を団結できなくなります。私達の団結を保存できる力はこれにしかないのです。よって、この団結の為に私達はこの光を引き寄せることを願うのです。私達が繋がるにはクリエーターが必要であり、これはこの“改善する光”を引き寄せなくてはならないことを意味します。

どのようにして私達はこの団結を感じることができるのでしょうか? 私達はゾハールを読んでいるあいだにこの団結を要求しなくてはならず、ゾハールはこの団結を私達に与えなくてはなりません。これが、なぜカバリストがこの書物を書いたのかということの理由です。そして私達には次のことを尋ねる権利があります。「私達は望もうが望むまいが、団結することになっています。しかしその団結とはどこにあるのでしょうか? なぜゾハールは私達に効果をおよぼしていないのでしょうか?」と。もし私達の全員がこのことを一緒になって考えたなら、それは大きな関心事になり、私達はひと時も忘れることができなくなるでしょう。そうすればそれは成功します。しかし一人では、私達のだれもがなにも達成することはありません。

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