クリエーターと比べれば私達のひどさが分かります

受取った質問:クリエーターの特質が創造物の特質のなかを貫通したときに、ケリム(クリの複数形-器)が割れたこととは何ですか?

私の答え:私は受け取りをする者として創造されました。そして、自分を満たすことだけしか知りません。上層の光は私に影響を及ぼし、私を抑制しました。つまり、上層の光は私に授与の特質を示して、私の持つエゴイズムが恥ずかしいことであるという感覚を植え付けたのです。これらすべては光の力が私にしたことです。私が光を感じるとき、私は光の様になりたいと思いますが、私は相変わらず前と同じ特質状態のなかに留まっています。

これは、あたかも私が音楽や文学やアートなどについて深く論じる人々のグループのなかに置かれて、自分もそのようになりたいと思うようなことです。そして、私は自分自身を誇りに思っており、ここに来る前に自分がどうであったか振り返って考えるとき、恥ずかしいと思います。しかし、私がいったんそこを離れると、全てが許されていることを目にします。つまり、そこには恥ずかしい欲求は何もなく、うそをついて様々な汚らわしい事に従事してもよく、それ故、これこそが本当の人生だと思って自分もそのように考えて振る舞い始めるようになります。

言い換えると、創造物はただ光の影響下に置かれていただけで、それは創造物の内的本質ではないということです。これは是正ではありません。光のように輝き始め、創造物の内部にある全ての汚れを正す為に、私達には暗闇が必要です。クリエーターともともと性質上反対である利己的な欲求は、制限されるだけではなく、是正される必要があります。

なら、どのように創造物は、だまされてこれを行い、それ自身をあらわにするよう強いられるのでしょうか? これは人が自分の本性を示すまで、絶え間なく盗聴器を仕掛けるようなことです。まさにこれが、ケリム(特質)の破壊のときに創造物に起きることです。

しかし、創造物はこのことについてまだ何も知りません。創造物は光の影響下に存在しています。これはあたかも以下のようなことです。私が自分自身をよい人々のグループに所属させ、その後、私には価値がある、私は立派でクリーンであると感じ始めもします。そして、突然私になんらかの仕事が与えられ、偽りのない真実が明らかになります:皆が自分の正体を知ってしまうのです。このことから経験する恥ずかしさを想像してみてください。私は彼らがする同じこと-授け与える為に受け取ること- がしたかったのです。しかし、本気で仕事にとりかかったときに、自分の悪のすべてが露呈したのです。

クリエーターと創造物は隣同士に位置しており、パーサ(Parsa)と呼ばれる薄い障壁によって隔てられています。もし私達がこの薄い壁を壊したら、光の中に存在する善のすべてと照らし合わされ、創造物の中にある全ての悪が明かされます。それらはお互いに近いように見えましたが、突然その壁(パーサ)が崩れると、今やそれらは向かい合って対立しているのです!

そして、あなたはクリエーターがどんなに親切で授け与えているかを目にします。でも、あなた自身を見てください! クリエーターの性質とあなたの性質がこのように比較されない限り、私達がクリエーターとの類似を達成することは不可能です。

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