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“事実”とは完全に主観的なものです

受取った質問:事実とはなんですか?

 私の答え:私にとっての事実とは私が五感を通じて感じること(視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚)です。それは他のものと比較し、測量し、記憶できるものです。しかし、それは単に自分にとっての事実です。それは私と私の脳と私の感覚に関連づけられた完全に主観的な情報のひとつです。

 他のクリーチャーはその同じ“事実”を違うように解釈し、その同じものに対する私の個人的な印象は、そのクリーチャーにとっては“事実”にならないでしょう。通常、自分たちの事実の確証は自分たちに類似するものからしか得ることができません。

 質問(続き):しかし、私の内面状態は常に変化しています。なら、私が前に解釈した事実はどうなるのですか?

 私の答え:私達は自分たちの内面的な印象を、あたかもそれが事実であるように語ります。しかし、私達が変化するとき、私達は新しい事実を認識しはじめます。古い事実と新しい事実は互いに矛盾する可能性があります。なぜなら、それらはすべて主観的であり、観測者によるものだからです。

 私達は全ての物事を“物質的な自分自身”(自分の願望の合計)を通して理解します。私達の願望は常に発達していて、新しい事実がその中に現れます。私達がある物事に対して理解を深めるに従って、事実も同じように進化します。アインシュタインの理論がニュートンの理論を拡大させたようにです。ニュートンの古い事実または法則は未だに有効ですが、それらの有効性はある特定の状況下のときに限ります(光の速度のよりも遅い場合、小さな又は大きなエネルギー範囲内の場合。その逆の場合も同じです。原子間における大きな距離または小さな距離等々)。

 私達は全ての物事を自分の願望を通じて考察しています。また私達は事実を自分の願望の“厚さ”(アヴィウット-Aviut)の様々なレベルにおいて測定します。その結果、私達は同じ出来事を願望における数々の異なった層(または強度)を通じて知覚します。これらの層は相反せず、同時に存在していて、同じ出来事に対して異なった解釈を生じさせます。

 例えば、スピリチュアリティーが人に明かされるとき、物質的な世界がそれによって消されることはありません。それどころか、それはより高いレベルの世界を露出させ、私達の物質的な存在を支配している原因と結果を明らかにします。

クリエーターの啓示は現代の呼びかけです

カバラのメソッドを実現してクリエーターに近づかないかぎり、人々の気分が良くなることはないという状態にまで世界は来ました。クリエーターは明かされなくてはなりません。これが現代の呼びかけです。

 もし私達がクリエーターに近づけば、気分は良くなります。もしそうでなければ、気分は悪くなります。これは自然の力もしくは私達がその様に成らなくてはいけないグローバルな法則によって決定されています。なぜなら私達の全員がひとつのシステムのなかに存在しているからです。そして、そのことを自然、クリエーター、グローバル・システム、あるいはひとつの魂と呼ぼうが、それは問題とされません。

スピリチュアルな概念を測定するハカリ

私達がしなくてはならないことは、物事に対する「甘いか苦いか」という査定から「真実か偽りか」という査定に移行(超越)することです。クリエーターとは最終的には真実と呼ばれるものなのです。

 「真実」という言葉は、ヘブライ語の文字アレフ、メム、タヴから構成されます。アレフとタブはヘブライ語アルファベットの最初と最後の文字です。それらは、願望における両極端を表しています。真ん中の文字メムは、ビナ(与える願望)の特質を表し、それを使うことでその二つの極を是正して、ひとつに繋げることができます。それが「真実」という意味です。

 何が真実で偽りであるかを定める方法は、カバリストの集団(環境)の中にしかありません。それは自分ひとりではできないことです。なぜなら、自分の中には一つの規定要因(パラメーター)しかないからです。つまり自分の中にはエゴしかないからです。その測定をするには、もう一つのパラメーターが必要です。そしてそれは自己の外側でしか見つけることができません。

 集団の中で勉強して自己における明瞭化を沢山することで、カバリストのビギナーも、自分が他者の“心の点”からなる普遍的でグローバルな願望のシステムの中に存在していることを感じ始めます。この特定の環境に関係することで、人に新しい感覚的概念が現れます。それ(グローバルなシステムの感覚、その帰属意識、その集団からの支援の必要性、そしてそこに上層世界とクリエーターが潜んでいて、それを明かすのだという気づき)に近づくか、遠ざかるかということです。

 しかし、そうなるまでは、「自己と環境」という二つの力の相互作用が、あなたの中に形を作り上げています。その環境はあなたの“自己”(エゴ)に圧力をかけ、それを“無効”にするように働くでしょう。そしてあなたの自己の外側に、新しい支配・統治システムが現れ、あなたはそれを救済(この世界という状態からあなたを引き上げるてこ又はレバー)として捉えるようになるでしょう。

 あなたは「自分か環境か」と物事と査定するようになり、その結果としてスピリチュアルな関係性と力を測定できる量的でかつ質的なレベルを手にします。そうして自分の中に内的なはかりを構築します。自分をはかりの片方に置き、もう片方に集団を置いて測定するようになるのです。このはかりを使えば、あなたは上層世界を調べて測定し描くことがすぐにできるようになるのです。

 スピリチュアルな細胞は「自己と集団」という関係性からあなたの中に生まれ、あなたはその細胞を通し、自分の上にある現実のすべてを測定できるようになります。そして、このようにしてあなたは魂を自分の中に作りあげるのです。

自分の質問の答えをどう見つけるのか

受け取った質問:なぜ私達はカバラの知恵の(勉強の)ために選ばれたのですか?また、なぜそれが他の人達ではないのですか?

 私の答え:人がそれを知ることはありません。人が世界と魂の全体系を明かした後にならないかぎり、この体系での自分の役割と、なぜ自分のなかにクリエーターのようになりたいという願望がこの特定の時期に目覚めたのかということを理解するようにはなりません。この目覚めとは魂のことです。

 しかし、この意味は現実の全領域を明かした後にしか人に来ません。この理由から、カバリストは「いちど起こされたなら、目を覚ましなさい。いちど心の点を与えられたなら、それを実現しなさい。」というのです。その後になってあなたは質問の答を受け取るでしょう。

 私達の物質的な状況についても同じことが言えます。なぜ私は自分の両親のもとで生まれてきたのか?なぜ私はこの特定の肉体でこの時代に生まれてきたのか?というようなことです。これらの質問の答えも私達の人生にはありません。しかし、カバラは私達に全体系を到達させて答えを見つけさせる能力を授けます。

 (北米コングレス ニューヨーク州 バッファロー 子供達のレッスンより)

上層レベルのお腹のなかの胎児になる

たとえあなたにスクリーン(与えたいという願望)がまだないとしても、そうしたいと望んでいるのであれば、自分の心の点をスピリチュアリティーに徐々にしみ込ませて、それを上層レベルに付着させる試みができます。このようにしてあなたは、一滴のスピリチュアルな精子として母の子宮(上層レベルのアハップ-AHP:上層レベルの下層部分、つまり上層レベルの受け取る願望の部分)の中に置かれます。あなたは上層レベルの存在に自分を上昇させてもらうために、そこに行きたいと願うことによって、スピリチュアルな胎児として発達しはじめるでしょう。

あなたは自己を“消して”、光が世界全体に流れ込むトンネルに変化したいと願わなくてはなりません。あなたはこのようにして光の流れを詰まらせる障害物ではなく、光の導管になるでしょう。現在あなたは自己の内側に閉じ込められています。そしてあなたは自己を開けなくてはなりません!この啓示は光(オア・マキフ-包む光-Ohr Makif)の助けによって起こります。

スピリチュアル・ヒーリングの人文科学と自然科学

カバラの書物は医学書によく似ています。医師は病気の患者に健康を与えることはできません。医者ができることは、患者が病気を治し健康になるために何をしなくてはならないのかということをアドバイスするだけです。

カバリストが私達にすることも、これと全く同じです。彼らの意図することは、スピリチュアル世界のイメージを描くことや、そこで起こっていることを単に説明することではありません。彼らの書物は、その中で説明されている授与の特質の様に私達がなることを手助けするために書かれたのです。私達は彼らの書物を使って、自分たちをこれらの行為と結びつけはじめ、その後に、自分達の特質、願望、意図に対して、スピリチュアリティ(クリエーター)に類似させる“プロセス”を応用できるようになるのです。

カバラの書物が書かれた理由は、勉強のためや知識と知恵を私達に与えるためでもありません。もしあなたのアプローチがこのようであるなら、あなたはスピリチュアルなどんなものも、見ること又は達成することもないでしょう。それどころか、そうすることは、あなたの達成したい結果(自分を変えて上層世界の“市民”になること)をもっと遠ざけることになるでしょう。

病気の患者が医学書を読むとき、彼は自分が治癒する方法以外に何も探そうとはしません。カバラの勉強をするときのアプローチもこうであるべきです。そうでないなら、勉強が知識のためだけになってしまい、その同じ書物は“生の万能薬”ではなく、“死の毒薬”になってしまうでしょう。

何をいつ誰に授与できるのか?

受け取った質問:私達はカバラで授与することを学ばなくてはならないと言い続けています。しかし、私は何をいつ誰に授与できますか?

 私の答え:あなたは何を授与するべきか? あなたの友達が欲しがっているどんなものもです。いつか? 今すぐにです。(結局のところ、誰かを愛しているとき、その人をすぐに満足させたいと思います。)誰にか? すべての人にです。

 もしあなたが自己の外側へ出るなら、誰に授与するのかという違いは消えてなくなります。それが友達、クリエーター、全人類だろうが、あなたのエゴイズムの外側では、すべてがひとつなのです。

 バール・ハスラムの記事“The Revelation of Godliness(敬神の啓示)”の項目15には、以下のことが書かれています。

 「その理由とは、実はまだ創造の性質の中にいる人にとっては、神の愛と彼の友の愛の間に、違いがないからです。この理由は、彼以外のどんなものも彼にとっては実在していないからです・・・

 よって、彼は自分のために、それを彼の友の愛として定義しました。なぜなら、それは間違えを防ぐことで、及び厳しいことであるため、その目標がより近づいて、より早く明かされるという理由からです。」

 以上のことから、自分の友達をどのくらい愛しているのかをテストすることは、クリエーターを明かす道の上で、間違いを回避させる確かな方法ということになります。

スクリーンとは?

受け取った質問:スクリーン(膜)とは何ですか?それは何からできているのですか?どうやってそれを認識できますか?

私の答え:スクリーンとは、あなたに自分のことではなく他者のことを考えさせる力です。それはあなたが今とは異なる考え方、感じ方、決断の仕方を獲得したときのことです。これが起きるとき、あなたはあたかも新しく生まれ変わります。

これが奇跡と呼ばれることです -「エジプトから脱出する奇跡」。それはあなたが利己的な願望から離脱して、突然にして他者のことをケアしはじめるときのことです。あなたの思考のすべてが、この様に働きはじめるのです。

今はまだ、それが怖い変化のように私達には見えます。誰がこのようなことを求めるのかというように。また私達がいくらこの事について話あっていたとしても、内面ではすごく恐怖に感じているのです。

しかしながら、上層の光はこの変化を私達のなかに生じさせます。それがどのようにしてそうするのかは、私は知りません。それは単に私達を創造したことと同じように、その変化を生じさせるでしょう。人のなかに起きるこの変化をミラクル(奇跡)と呼ぶのです。私達の願望を創造した光は、この“アップグレード”も私達の願望に施すことができるのです。

何を正さなくてはならないのか?

受け取った質問:私は、私の“心の点”を正さなくてはならないのですか?

 私の答え:いいえ、あなたの心の点を是正する必要はありません。なぜなら、そこに直さなければならないものは何もないからです。それはただの点であって、体積がないのです。

 あなたがしなくてはならないこととは、あなたの心の点を他の点とつなげることです。あなたとの間にこのつながりを結ぶことを、是正と呼ぶのです。

 その後、あなたは、点又は願望の“グループ”が完全に正されていることを明らかにします。すべての人は、健康な生き物の細胞のように、この完全なつながりの中に存在しているのです。あなた以外の全員が!

 グループにあなたがどれぐらい”頭を下げる”ことに従って、彼らはあなたに影響を及ぼします。そして、あなたはクリエーターの様になるための正しい意図・意向を持つようになります。あなたがこの意図・意向を持ちながら上層世界について読むとき、その読むこと自体が、あなたに及ぼす上層段階からの影響を引きよせるのです。そして、あなたはその“包む光”(Surrouding Light)に影響されます。その包む光は上層段階から下降してくる上層の感覚をあなたに与えるのです。だからじっとしてないで、始めて下さい。

“心の点”と向かい合う

誰でも、最低でも一生のうち一度は、“心の点”の目覚めを経験します。しかし、普通の人は、自分の嫌な気持ちや空しさが地上的な原因からきていると思っています。人はその原因が、自分の中で魂が目覚めていて、成長したいことを自分に要求しているのだとは理解しません。

 大抵の人々は、様々なライフサイクルで送られて来るこれらの瞬間に注意を払いません。彼らはこれらの瞬間が魂の成長をはじめるように彼らに促がしているとは理解しません。彼らはそれどころか、それらがありふれた現実的な原因によるものだと思っていて、高尚な目的によるものだとは思わないのです。

 しかしながら、人が何度もこのように呼び覚まされると、自分が嫌な気持ちでいる理由を理解するようになります。この気づきのことを“悪の認識”と呼びます。人は、自分の嫌な気持ちの原因が空しさにあるのではなく、自分の偽りと自分に真実が欠如していることにあると気づきます。人はあまりにも強くこれを感じ、真実を聞く準備ができます。それがどんなに苦しいことであったとしても。

 その後人は、不満に耐える覚悟ができ、真実に近づくために自分のエゴイズムを制限することを選ぶようになります。人が難しい疑問で頭を悩ませているとき、そして精神的な重荷や無力感を感じるときは、それが魂の啓示の始まりであると理解しなくてはいけません。この時点で人には魂を発達させること以外に、選択肢はなくなります。なぜなら、そうしないことが苦しみをただ長引かせることになるからです。