肉体の死は髪を切ることと同じであるべき

受取った質問:自然を明かすとはどのような意味ですか?

私の答え:自然を明かすとは、私達を取り巻く一般自然法則を明かし、今とは違う段階にいる私達自身を出現させることです。言い換えると、肉体の五感が認知する現実とは対照的に真の姿の現実を明らかにするということです。この意味において私達は動物と何の差もありません。

今日の私達と動物との差は、私達が自然の全てを自分自身の為だけに利用したいという利己的な願望にあります。それはつまらない偏狭的な利益です。しかし私達は全ての人の内面にあるこの利己的な力を克服できるようにならなくてはいけません。

もしもこの利己的な力を授与の力と隣人愛に変えたなら、私達は自分達の性質を克服し授与の特質を獲得し、上層に存在している自然の総体的な力である創造主に似るようになります。これは全ての人の中で”創造主を明かすこと”と呼ばれます。これによって人は自己の中に授与という上層の特質を発現させ、創造主として、そして自然全体として、永遠で完璧な人生に到達するのです。

たとえ人が自分の動物的な肉体を失ったときでも、何かに対する欠如を感じることはなくなります。その理由はこの肉体的な人生が、最小で最低で最も取るに足らない生の形にすぎないからです。

ラバシュは次の例をあげました:人が肉体という動物的部分にある植物的部分を表す爪や髪の毛を切ったとしても、その人が爪や髪の毛を切った時に痛みを感じることはない。なぜなら植物的部分は動物的部分の段階より1つ下にあるからである。

それと同じく、私達が自然の動物的段階を克服し創造主の段階に到達したとき、私達は肉体的な生を失うことが意味のある重要な出来事として認知しなくなります。しかし私達がこの高い段階に到達するまでは、これからも肉体の死が重要な出来事であるとして見なしつづけることでしょう。

私達がいったん次の高い段階に上がったとしたら、この世の人生に留まる理由がカバラの知識を広めることと授与の必要性のためでしかないと理解することでしょう。この場合には、そうするための機会がこれからもずっと与えられることでしょう。万が一このような必要性がないとして、私達の肉体は死ぬためだけのものだったとしたら、最初から肉体の死は爪や髪の毛を切るときと同じにしか感じないはずだったでしょう。

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