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愛と憎しみの数学

仲間に対する憎しみは、憎しみの感覚としてではなく、自分の利益のためにその人を利用したいという願望として表れます。この感覚はそれを愛 – 自分自身ではなく他者を充足させたいという願望 – に変化させない限り続きます。

私の先生だったラバシュは次ように言いました。「自分が0で友人を1として心に描くことができる。または自分が1で友人を0として見なすこともできる。これは自分の願望しだいである – 自分の利益の為に彼を使いたいか、または友人に利益を与えるために自分を使いたいかによって決まる。」

あなたが他者をどの程度満たしたいかによって授与と愛の光はあなたを満たします。

人類の結束は自然界に類がありません

受取った質問:なぜ人間社会は動物的段階にいる間に体の細胞のような相互保証的な状態に至ることができないのですか?

私の答え:人間はとても複雑な生物なので細胞のように他と結束することはありません。以下がその理由です。

エゴイズムは無生物段階から、植物段階、動物段階、人間段階になるにしたがって質的に大きくなります。物体のエゴイズムが大きいほどその物体は個性的(個人主義的)なものになり、他と一体化することがより困難になります。よって人は発達するに従い他者から分離していることをもっと感じるようになります。

今日では、心理学者や社会学者だけでなく経済学者や政治家も世界がお互いに繋がっていることを理解するようになり、人類が統一しなくてはならないと考えるようになりました。しかしながら、彼らは物理的な手段で統一が達成できると信じています。世界銀行、世界政府、世界教育、世界規模の関係を築けば全てが解決すると考えているのです。

しかし、つい最近開催されたG20サミットのような会合がさらに数回行われた後には、彼らに統一する手段がないことが理解され始めるでしょう。彼らがこの事を理解するまで人々は残念ながら、食糧難、精神的混乱、完全な無力感、世界的な悲しみなどを含む大きな災難を経験しなくてはならないかもしれません。人々は不安を抱えて暮らすような状況に耐えることはできません。なぜなら絶え間ない不安は死よりもひどいためです。そのような状況下で私達の精神は正しく機能しません。しかし、統一を達成する唯一の方法が私達のエゴイスティック(利己的)な性質を超越することでしかないことを私達に理解させる為、これらすべてのことが起こるかもしれないのです。

無生物段階、植物段階、動物段階における全ての性質や構成部分は自然的そして本能的に互いに連結しているため、それらの段階にはこのことは適用されません。それらの段階は自由選択や意思決定することなく相互的に補い合って調和しながら相互作用しています。

しかし、人々における統一は一人一人が意識的にそうしたときにだけ達成できます。他の自然段階と違い、創造主は私達に単に統一させる本能を与えそれを達成させるようなことはしませんでした。私達の統一は私達が与えることと愛の特質を獲得し、全員参加で全員が結束したときにだけ可能です。この達成には、私達が自分自身と自分のエゴイズムを克服して「自分のように隣人を愛しなさい」という聖書の戒律を守れるようになるしかありません。

このような方法で私達の間に創造主の特質が啓示され、私達は創造主に似た存在になります。その後になってはじめて、なぜ創造主が私達に対してこのように振舞ったのか、その理由を理解するようになります。

授与することは他のどんなことよりも私達を満足させます

受取った質問:受取る意志から与える意志に変化する期間に何が社会に起きるのか分かりません。人々はお金や権力ではもはや満足しなくなりますが、彼らは与えることが何なのか分かっていません。どのようなことが人々の与えることを動機づけそうさせるのでしょうか? 与えることから何の喜びも得なくしてどう人々は与えることを願うようになれるのですか?

私の答え:社会が人々に与えることを奨励するという理由で人々は満足します。与える人は社会から尊敬および報賞され、これがその人を満足させます。私達の進化の目的は、人と人を繋げて与えて愛することのエネルギーを、この人々の繋がりの感覚自体から得ることです。

結局のところ人々が本当に求めているものはお金や権力や成功ではなく、内的な満足または社会から受ける特定な態度です。生存に必要な物質的なものよりも上にある、それらを超越するすべての喜びは、すべて目に見えないバーチャルな充足として知覚されます。

その上、お金で満足することよりももっと大切と見なされる傾向にあるものもあります。それは社会から認められて尊敬されることから得る満足感です。これはお金持ちや権力者らも求めていることですが、彼らがそれを手にすることはできません。なぜなら彼らに払われる敬意や承認などは、ワイロを使って獲得される偽物であるためです。

人が経験することで最悪なことは、社会および自分の子供からの非難、屈辱、軽蔑です。これは死そのものよりも最悪なことです。これらと反対な質は、尊敬、承認、感謝です。これらは私達に人生における最大の充足を与えます。

私達に課せられたことは、社会から受取ることから社会に与えることに全員を変化させる世論を育むことです。そうすれば社会に与えることによって得られる報賞をだれもが感じ取るようになるでしょう。

それは世界の終わりではなく始まりです

受取った質問:もし私達の誰もが望んでいる均衡に到達したら、自然災害を止めることができますか? 既に私達は十分というほど世界を破壊してきました。

私の答え:私達は世界のほとんどを破壊し、ずっと前に帰還不能点を過ぎてしまいました。あらゆる計算によると私達はものすごいスピードで世界の終焉に近づいています。

しかし、私達の考えと願望の中において自然との調和に到達することで、私達は自然における全ての”不可逆的”な不均衡も制することができます。これら全ての現象は過剰消費や環境汚染、環境資源の減少などの私達の誤った物理的行為の原因ではなく、私達の利己的な態度と思考と願望によるものなのです。

最新の科学データは環境を変化させようという人間の物理的レベルでの試みには少しの効果しかなかったことを示しています。従ってこれらの物質的行為は現在私達が目にしている自然における変化の原因になりえないのです。実は自然における変化は、私達を最高レベルの存在に至らせるという創造の計画によって決められているのです。そして私達がこれを獲得することは避けられないことなのです。

私達はお互いに対し配慮することによって、すなわち”相互保証”の達成によって、自然との均衡に至ることができます。私達のこの均衡の程度によって、私達よりも低い自然段階 – 動物段階、植物段階、無生物段階 – にも同様に影響を及ぼしています。そうした後に全てのネガティブな出来事は少なくなります。これら全ての自然における問題や障害が起きる唯一の理由は、人々の間に調和が欠如しているからです。世界で起きるすべての災害と危機は不均衡な力の発現でしかありません。そして私達の利己的な態度がネガティブな結果を自然の無生物段階、植物段階、動物段階、人間段階にもたらしているのです。

火山の噴火や津波が急に発生する時、これらの事象はあなたのなかで起きているのです。無生物段階、植物段階、動物段階における不均衡はあなたの内側にあるのです。こうした理由であなたはそれらの外的な映像を目撃しているのです。外的な現象は単にあなたの中で起きていることの反映でしかありません!

世界が”終わる”ことはありません。しかしながら、私達は世界の終わりに”ほとんど”近い状況に至るかもしれません。その状況は変換機で新しい人生の始まりです。カバラは広い知識とこの重大な局面で私達がどう行動すればよいのかについてのアドバイスを提供します。それは私達が完璧な存在により素早くそしてより簡単に到達する方法を与えます。

自然の段階に到達するとき私達はどうなるのか?

現実における全てのものは以下のように分かれています:

内的な部分:スピリチュアリティの世界、根の世界、決意、意図・意向。

外的な部分:私達の世界、枝の世界、結果、行為、実行。

私達に課せられていることは、私達に起きていることや影響していることを通して外的部分を明かすことです。言い換えると、私達は行為のレベルから意図・意向のレベルに上がらないといけないということです。その目的は「自然」と呼ばれる唯一で普遍的な力が私達に要求していることと何故それが私達をこのように進化させているのかということを理解できるようになるためです。私達に起きてることを吟味することによって私達は自分達と自然(または創造主)についての完全な知識を手に入れます。その願望、理性、計画、思考も含めて。

この知識を獲得するには、自然のなかに本来備わっている性質と私達が同質にならなくてはなりません:授与と愛とその構成部分の間にある共有性の性質。そうならないかぎりそれを理解することはありません。もし人が自然と同じ行為を実行するなら、またもしそれらの行為を学習し同意するなら、人は自然のレベル(創造主)に到達することができます。このようにして人はアダムのレベルに到達するのです。(Adamの語源はEdameh – 自然または創造主と類似しているという意味)

自然におけるバランスとは何か?

受取った質問:“相互バランス”や”相互保証”といった言葉は美しく賞賛すべきことですが、それらの意味が明白ではありません。具体的な例を使って説明していただけますか?

私の答え:自然におけるバランスの意味は、全部が同等でどんなものも全部に属しているということです。これには土地とその土地で見つかるものの全て(石油、ガス、鉱石、水など)が含まれます。バランスとは誰もが天然資源の消費に対して同じ姿勢を有しているときのことです。

天然物を消費するときにこのバランスを保つことは絶対に必要です。皆が普通の生活をする為に必要なものだけを受取らなくてはならないのです。また動物的な肉体の生存に必要なもの以外は何も生産すべきではありません。過剰なものはすべて有害であり、自然のバランスの法則に反します。

各自が自分の必需品に応じて受け取りをする時に人々の間でバランスの法則が正しく示されます。それは誰もが他者よりも多く持つことがなく、自分の自然的に欠かせないものに応じて摂取するときのことです。そしてこれに関しては私達は同等ではありません。なぜなら誰もが違う資質を持って生まれ、必需品も人によって違うからです。

自然または創造主は意図的に私達を違うように作りました。私達がお互いの必需品、願望、そして考えを感じ取れるようになる為です。それは私達のもっている他者の魂を感じたい、他者の内的な本質と願望を感じたいという願望を発達させる為なのです。よってもしあなたがすべての人に対して同等の資源供給を達成したいとおもうのなら、周りにいる人々を自分と同じように感じなくてはなりません。その後になり初めて私達は1つの体を構成する細胞になることができるのです。

人類は自然の網にかかった魚のよう

受取った質問:全人類が1つの家族として一緒になり、全資源を公平に70億人に分け合うと仮定してみて下さい。しかしその状態でも人々が発達するエゴの中に居続けたとしたらどうなりますか?

私の答え:あなたの述べていることは是正なくしての実現は不可能です。従ってその全てのことへの道を開くものは教育です。私が意味している「教育」とは、人における選択の自由、創造の目的地、人間の本質、現実に対する認知の仕方、利己的な発展を手段とする人類の発展について教え説明することです。その理由は一体化し相互連結した新しいシステムのなかでの暮らし方を私達が学ばないといけないからです。私達はこのシステムから逃げることはできません。よって他に選択肢がないのです。

あなたは網で捕まえられた魚のようであり、生き抜くためにはこの網の法則を学ばないといけません。今や私達は新しくなったグローバル世界の法則を学んで、それを全人類に知らせなくてはなりません。人々はこれらの法則と選択肢がないという事実を理解しなければなりません。さもなくば彼らは苦しみによって同じことを強いられ、ついにはいやいや一般自然法則を守るようになります。

このように自然法則は啓示されつつあります。カバラとブネイ・バルーフ(Bnei Baruch)は人々の行うべきことを命令しようとしているのではなく、これらの事柄を最低でも部分的に理解し、人々は同意しなくてはならないと言っているのです。しかしそこに行き着くには、人々に正しい模範的行為を教えるメディアを使った宣伝や啓蒙活動を常設する必要があります。これら全てが社会によって奨励されるべきです。そしてそれが起こりうるには人々がこれしか手立てがないことを本当に理解したときだけです。

新しい現実とはユートピアではなく自然法則のことです

受取った質問:あなたの描く世界はユートピアのように聞こえます。いくら人が他者の利益のために働きたいとしても、その人は自分が搾取されることを心配します。

私の答え:私はユートピアについて語っているのではありません。私は人々が相互に繋がった新しい世界に住んでいることを理解しはじめていると提言しているだけです。

あなたは完全な世界における法則について精通していますか? 閉鎖体系の機能の仕方、その中に存在する調和、その体系を構成する全ての部分が従っているプログラムについて、どんな科学者にも聞いてください。

自然は私達に自然及び互いにおける完璧な調和に即刻に達しなさいと要求しているのではありません。そうではなく自然は今私達に覚醒させるための影響を及ぼしているのです。そして自然はこのことについてもっと研究できる機会を提供しているのです。

子どもは人生の最初の20年間、この世界のなかで意識的に正しい人生を送るための準備過程を経験します。もし子どもがまだ世界がどのような法則にしたがって働いているのかについて学んでいないとしたら、私達はその子をこの大きな世界の中に置き去りにすることができますか? もちろんできません。こうした理由で保育園、学校、大学等があるのです。そしてこれら全ては子どもが私達の知る古い世界を理解するためだけのものです。

今日の私達は皆、子供のようです。そのため人類を教育することから始めることが重要なのです。今までの人類は”最小限の努力で最大限の収穫を得ること”という利益の法則 に支配された世界での生活の仕方について学んできました。しかしながら今日では、古い自然法則が新しい法則 – 相互連結(インターコネクション)の法則 – に取って代わりました。これは以下のことを意味します。私達が1つの体系に存在していること。よってあなたは利益を私よりも多く得ることはできないこと。またどちらか一人が苦しめば、私達の両方が苦しむことになること。

こういった理由であなたは相互連結された[格子状にお互いが繋がっている]体系を学んで、新しい行動規範を自分のものにしなくてはならないのです。唯一その後になってこの新しい世界での生活の準備が整います。そしてこれはあなただけに対してのことではありません。世界全体がこの学習過程を経験しないといけないのです。

利己的な交換の時代は終わりました

現在の危機的状況は、私達を互いから利己的に孤立させるピークの段階に達しました。そしてこのために私達はどんな集団的行動もできなくなっています。今日の私達は、何かを与えその代わりに何かを受取るという交換をすることさえできなくなっています。すなわち、私達は何かを得る為に与えることさえもできなくなったのです。

私はお金を銀行に預けその預金を取り戻すことができない。私は誰かの為に働いて給料を貰うことができない。ビジネスの所有者は商品を売って利益を得ることができない。このような相互的な交換がもう機能しなくなったということです。

こういった理由で私達は他者のためにケアするという態度に移行せねばならないのです。快適な暮らしに必要なものをすべて手に入れる為にはこうする以外に方法がありません。

以前の私達は、他者に配慮することも何かを代わりに与えることもしないで獲得することができた世界に住んでいました。言い換えると盗んでいたということです。旧約聖書に「行って、お互いから得るのだ」と語られているように、数千年にもわたる私達の文明の歴史のすべては、交換と交流の歴史でした。

しかしながら今日、この利己的な交換の時代は終わりました。あなたは何かを受取る目的で与えたり受取ったりすることはもうできません。ではどうすれば生活できるのでしょうか? 何をすればよいのでしょうか?

人類はまだ自分達の新しい状態を実感していません。人々は未だに古い規定(レギュレーター)が使えなくなったことを理解していません。今後は全ての人々が世界と相互的に完全に繋がることでしか生きていくことができないことも理解していません。これはグローバル世界、完全な世界の必要条件です。この必要条件は「相互保証」と呼ばれるものです。

人々は唯一他者を通じることによって繁栄を獲得できるのです。そしてその決めては私達が他者にどれくらい親切に配慮をするのか、そしてどれくらい他者に与えることを望むのかによります。今日の危機はこうすることを私達に余儀なくしています。

ビジネスの生き残りの条件:必要な分量だけの消費

受取った質問:どうやってビジネスが利益を得ないで生き残ることができると言うのですか? それは理想郷(ユートピア)のように聞こえます。

私の答え:その経済条件はとても単純なものです。経済的見地からいってビジネスが社会全体の為に利益を最大限与えるなら、それは生き残れます。たとえばスーパーの品物の値段はそのスーパーの全出費に必要な分量だけを稼げるものと同じにするべきです。この計算は個人が生存するのに必要な分量だけを消費することを確実にするためのものです。完全体を構成している体内の細胞や臓器のように。

したがって、ビジネスの利益はそのビジネス全体の通常な存続を確実にする為だけのものです。その量を超えるどんな利益も害をもたらします。食べ過ぎが体に悪いのと同じように。お金の蓄積と特別な収入はあってはならないものです。

もちろん、どんな製造業者も不測事態にたいする安全策としての利益は確保します。変動を補うという目的で体が病気に備えてエネルギーを貯えるように。しかし一般的に今日のどんなビジネスもこのように計算を行うべきです。