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創造主のひかりは無限です

創造主について2つ質問が寄せられました:

質問:個人の魂で創造主と一体化した段階に到達することはできますか? 又、これは他者全員の魂の助けがないと無理なことですか?

私の答え:創造主と1つになるということは、創造主との類似性を獲得することを意味します。創造主は授与をしたいおよび愛したいという願望なので、人がどれくらい創造主と同じ特質を獲得するかによって創造主との一体化の度合いが決まります。人のなかで発達する授与をしたいおよび愛したいという願望(または性質)を魂と呼びます。

質問:なぜ創造主を”ひかり”や喜びとして描くのですか? こうすることは創造主を制限された不完全なものとして見なすことになりませんか?

私の答え:“ひかり”そのものは無限ですが、全ての制限はこの”ひかり”を受取りたいという私達の願望のなかにだけ存在しているものです。

等しさと個性は相容れないことではない

受取った質問:あなたの説く世界平等はすこし怖いことです。もし誰もが等しくなったら、私の独自性はどこにいってしまうのですか?

私の答え:あなたの独自性は全ての人があなたの中に含まれていて全ての人に与えたいという事実にあります。あなたが持つものを与えることができる人は、あなただけです。

しかしもしあなたが他者に与えることを望むのなら、まず最初に他者の全願望を獲得する必要があります。すべての人の願望を自分のものにしなくてはならないのです。その後にあなたは上層の”ひかり”をそれらの願望に送りこみ、それらを創造主に繋げることができます。そうすることであなたは創造主のような唯一の存在になります。

私達の“罪”の償いは私達の意図によります

受取った質問:私はあなたの著書を長い間読んできました。私はキリスト教徒の家庭で育ちましたが、私の持つ全質問の答えは見つかりませんでした。あなたは何度も聖書とは寓話的に書かれているので文字どおり(逐語的)に解釈すべきではないと言いました。私もそれと同じことをずいぶん前に確信しました。しかし、なぜ聖書は罪の犠牲という概念を起用しているのですか? キリスト教における最も重要な信仰はキリストが人類の罪の生け贄として自分自身を捧げたことを考慮すると、なぜ罪あがないの供物という戒律の必要性があるのですか?

私の答え:聖書(トーラー)の全部に書いてあることは、どのようにして人間のエゴイズムを是正し、創造主との完全な同等性の段階に到達するのかということです。ありうる罪のすべてを列挙している聖書の部分は、人間のエゴイズムの啓示について書かれたものです。

その意味は、人が自己のエゴイズムをさらけ出すとき、自分が罪人であると感じるということです。なぜなら自己の利益の為に他者を利用するからです。それと同時に聖書には解決法もあり、私達のエゴイズムの是正方法を伝えます。聖書の説明することは、エゴの違う段階(無生物、植物、動物、人間)とエゴの是正方法についてです。もっと正確には、それは私達の意図・意向を”自己のため”から”他者のため”に是正させる方法を伝えているのです。

私達の考える愛とは変装したエゴイズムです

受取った質問:なぜあなたは私達が“他者に対する愛”を知らない、または理解していないと言うのですか?

私の答え:人々は“愛”がセックス、子どもの世話、病人と貧困者への手助けなどに関係しているものだと大抵考えています。今や私達はこの概念を本当に理解しなければなりません。それが現在の危機の起きた理由でもあるからです。この危機は、愛が何であるのか、そして愛を欠くことの意味が何なのかを私達に本当に理解させるために起きているのです。実際にこれが危機の本質です。

金融、産業、その他の分野で起きている全出来事の唯一の目的は、私達に真実の愛が本当に何であるのか示すことです。その後で私達は他の全てのことをこの概念に比較させ、今の私達の性質がエゴイズムでしかないことを実感するようになります。

人々は“悪の啓示”(悪が明らかになること)と呼ばれるプロセスを経験しなければならなくなります。私達の現在の愛の理解は悪であり、既に他者を愛していると考えているという事実もそれと同じことだと人々は理解しなければなりません。その後で人々は、お互いに対する扱い方を今と同じように続ければ、個人的にも集団的にも全員の気分が悪くなるということを理解するようになります。あなたは個人的に気分がよいかも知れません。しかし他者を愛さないかぎりあなたもまだ邪悪な段階にいるのです。

私達は“他者に対する愛”の本当の意味を定義しなくてはなりません。またそれと反対なもの – 憎しみ – も定義しなくてはなりません。なぜなら「光は暗闇よりも優れている」からです。私達が自分以外のすべての人を憎んでいるということを認識しないかぎり、私達は愛に転身できるようにはなれません。これが最初のステージであり、人類はその状態に近づきつつあります。

今のところ、人々は「そうですね。私達はお互いに対する愛を十分に持っていないのかも」と考えながらただ賛同しているだけです。しかしながら、人々は私達の間にはびこっている憎しみについてまだ理解し始めていないのです。

エゴイズムのブラックホールの中への最後の転落

受取った質問:どうすれば現在の危機に直面している人が、それは霊的に上昇する転換期であって終わりのない危機の深刻化ではないと理解することができますか?

私の答え:創造のすべては“ひかり”(喜び、授与のエネルギー)と“うつわ”(“ひかり”で満たされたいという願望)から構成されています。“ひかり”は私達の利己的な願望をその最終段階にまで発達させ、願望は“ひかり”によって直接的に満たされることがもう不可能になったと感じるようになります。その理由は喜びが願望を打ち消してしまうからです。例えると、喉が渇いているときに水を飲んだとき、その喜びが水を欲する願望が満たされることによってなくなるということです。

現在の危機は私達の利己的な発達が終わりにきたことを示しています。私達は“ひかり”を自分達のエゴイズムに奉仕さようと使い続けることができなくなりました。言い換えると、私達は自分のエゴが満たされなくなったことに気づきつつあるということです。そして私達は未だに欲望を満たそうと自分のエゴイズムに突き動かされながら、心の中ではそれが無駄なことであると気がついているのです。

しかしながら私達は充足がないと生きていくことは不可能です。よって私達は自分のエゴの命令に従うざるを得えません。たとえ自分の意に反してそうしているのだとしてもです。私達は好きでそうしている訳ではありませんが、自分のいる環境の影響がそれを余儀なくさせています。私達は自分の意に反してそうすることを余儀なくされ、惨めで暗い気持ちになります。これは麻薬や酒などに溺れることの原因にもなっています。

実際これは人生の全側面における危機を招いています。結局のところ私達の人生は“ひかり”を使うことで自分の利己的な欲望を満たすことをベースにしています。願望が“ひかり”の影響によって発達していた期間、私達は発達することを切望していました。私達は新たな渇きをいやすことによって充足されるとずっと信じてきました。そしてこの嘘は私達の発達を促進させてきました。

しかし願望の利己的な発達が止まるやいなや、私達はそれが空っぽであることに気がつきました。このやり方で充足を得ることは不可能であると“ひかり”は私達に啓示しています。これが私達の呼ぶ危機というものです。よって私達は自分達を誤った方向に導くことを止め、その代わりに人生を感じさせる唯一の方法は“ひかり”の特質 – 与えようとすることと愛そうとすることの意向・意図・決意 – を自分のものにすることしかないと理解しなくてはなりません。

私達の地上での発展は終焉を迎えました。そしてその証明として多くの工場は閉鎖されています。なぜなら役に立たない余計な商品はもう必要なくなったからです。ヨットの大きさや銀行預金残高の桁数が羨望の的ではなくなったのです。

人々はこの世界で自分に喜びを与えてくれるものがもう見つけられなくなりました。結局のところ、どんな星も明るさに関係なくいつかは薄暗くなります。そしてエゴイズムの最終段階というブラックホールのなかに吸い込まれながら私達も衰えつつあります。このエゴイズムは何もかもを飲み込み、なにもそれから逃がれることはできません。そのなかには暗闇だけがあるのです。

カバラの英知を広めることだけが私達に自分の性質を改善する能力を与えます。「そして暗闇は“ひかり”のように輝くだろう。」と記されているように。

知覚範囲を広げる方法

この世界は私達が内面で想像しているものであり、内面の物質的イメージと内的感覚(思考と願望)が作り出しているものです。赤ちゃん又は未発達な人は、物理的なイメージ又は身体的なイメージによって影響を受けます。しかし発達した大人は、時空的に離れている出来事によって動かされることができます。

このことから私達は、なぜ自然に危害を加えている人々が自分自身を直接的に傷つけていると感じないのかということについて、理解ができます。その理由は人間における世界の知覚が非常に狭く制限されたものであるためです。

しかしこれらの人々がより敏感で発達した人々と団結すれば、彼らの知覚が自分のものになり、自分自身で引き起こしている危害を未然に防げるようになります。また、正しい環境には人々を親切にする力がり、たとえ私達の性質と世界の知覚がこの態度に反したものであってもそれに係らず互いを優しく扱うようになります。

運の悪い人に贈る言葉

エゴイズムは個人レベルで最高状態にまで達し、個人のエゴイズムは互いに合体するようになりはじめました。こうした理由で人々は自分達がお互いに繋がっていて相互依存していることを発見しはじめたのです。以下が運の悪いすべての人にたいする教えです:もしあなたが自分の願望と思考を、公益を目的とするものに向けるのなら、あなたはどんなことにおいても成功するでしょう。

成功のレシピはあなたが他者に与えることができるすべてを行うことです。この意味は、普通の生活を営むために必要なものしか受取らないということです。ビジネスの場合、”与える為に働くこと”は、必要経費を負担できるだけの収益しか得ないことです。このようにして商品とサービスの価格を決めるのです。誰も銀行口座のなかでただ”座っている”ような利益を得るべきではありません。

このアプローチは今日の営業方針とは正反対です。しかし、危機が終わるころまでには、すべての人がこのシステムに移行するでしょう。これと違う方法で機能できる企業は1つもなくなります。

その理由は、必要なものよりも多く取得することの全てが、自然とのバランスを壊すことになるからです。バランスを保つためには、他のどんな動物もするように人間も存続するのに必要な量だけを摂取すべきなのです。人々の苦しみとその原因についてのカバラの説明は、細胞や臓器など体の部分のように他者に対して奉仕することが最もよい生き方であると、人々の理解を助けます。

自然(創造主)はいかなる方法をつかってでも私達を支配するようになります。この生じ方は、力強い形 – この場合は私達だけが苦しむことになります – または、理解をともなった任意的な形のどちらかです。その理由は人々が調和の法則と自然に従わなくてはならないことを理解するようになるからです。

私達が自然と協力するようになれば、すぐにでも自然は私達の扱い方を変え状況も変化することになります。私達は十分な水、食糧、そしてすべての人が必要とする他のものも突然に有することになります。

人生の波乱には目的があります

今日私達は極めてまれな苦境に立たされています。自然は私達が分裂していてお互いを憎んでいることを示しています。私達のエゴイズムが破壊的なものだと。また私達は地球レベルでお互いに頼らなくては生きていけなく、私達の意に反しながらも誰もがお互いに繋がっていることも示しています。

私達にはお互いから逃避できる場所などありません。私達は自然の法則に従うしかなく、自然そのものがそれを強要しています。人間による現在の人工的状況がそうさせているのではないのです。もし私達が自然法則に従わないのなら状況はもっと酷くなり、自然との不和がより強い打撃と苦しみを人類に与えて人類絶滅の危機にさえ落入るでしょう。これら全てが起こる理由は私達のエゴイズムにあります。

私達は自然から追放されている状態にいます。この状況から解放してくれるものはあるのでしょうか。それはあります:私達の救いは、正しい人間関係を結ぶことと私達を取り囲む自然環境との正しい関係(繋がり)をつくることにあります。これは私達に自然との調和がとれた不可欠な一部になる機会を与えてくれます。

もっとも重要で急がねばならないことは、各々が私達の生存 – 食糧、水、気候、健康、精神状態、スピリチュアル状態 – がもっぱら自然との調和だけにかかっていることを理解し実感することです。実際に、これが私達の人生における波乱の目的なのです。私達が経験するすべての出来事、状況、状態は、私達を押し動かす内面的な力 – クリエーター – の発見を助けるために意図されているものなのです。苦労とストレスはクリエーターを知覚することを学ばせて、全てのことにおける隠れた理由がクリエーターにあることを気づけるようにさせます。

これが危機が波状的に起きる理由です。危機の目的とは、私達の世界に存在する悪いことのすべては私達の間にある憎しみによるものということを啓示することです。そのあとに私達はこの憎しみとは完璧からの追放と同じことであり、憎しみを乗り越えることが私達をこの追放からときはなしてくれことを理解するのです。

世界を救済し自分を治す

受取った質問:私達自身が病気で、他者の助け方も知らないのに、どうやって他者を治すことができるのですか?

私の答え:私達は全員がお互いに連結している完全な社会のなかに住んでいます。したがって全員が治らないかぎり誰も治ることはありません。他者を治そうと努力することのみが、あなたのことも健康にするのです。

ファラオは私達を創造主に近づかせます

人間どうしの関係は人間のエゴ – ファラオ – によって支配されています。私達はファラオを支配の座から追って彼から権力を奪わなくてはなりません。ではどのようにすればよいのでしょうか?

創造主の力によってでしか、これを遂行できることはありません。創造主は意図的にファラオ(エゴ)を人間の心の中に創りました。その理由は私達に創造主が必要だと理解させ、創造主と一緒にファラオを王座から引きずりおろすためです。このように協力的な過程をたどりながら私達は成長し創造主のようになります。