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“隣人を愛せよ”とは自然が私達に課している条件

受取った質問:自分達が一体で自然的だと感じている人々、集団、組織があります。彼らはお互いのことを愛し合い、動植物への愛も持っています。”隣人を愛せよ”とはこのことですか?

私の答え:“隣人を愛せよ”とは自然の法則です。それは私達の周りにある世界の条件です。現在この条件は急速に目の前に現れてきています。なぜなら私達がそこまで成長したからです。それは子供が大人になり、社会のルールを守らなくてはいけないのと同じことです。

全てのメディアが突然以下のことを発表したと想像して下さい。「年末までにあなたの隣人を愛しなさい、それができなかった人は全員死刑になります!」これは笑い事ではありません。これは自然が私達に課すようになった条件なのです。しかし私達はそのことに気づけないままでいます。

では何をすればよいのでしょうか? 私達は”隣人への愛”を獲得する方法を学ばないといけません。私達はこの掟の意味と自然が私達に何を求めているのか発見しなくてはなりません。この法則を避けることは誰にもできません。私達はそれを学ばなくてはならないのです。しかしどうやってでしょうか?

学習を通してです。自然が持つ特別な力だけが人間を是正することができ、それ以外の解決策はないということを人々に理解させる唯一の手段は学ぶことだけです。この特別な力が効果を及ぼす対象は、自分を是正させて”隣人を愛する”段階に到達したいと望んでいる人です。

それは何十億もある波または周波数のうちの1つを選ぶことに例えることができます。[自分の聞きたいラジオ局をつまみをまわして選択するように]あなたの願望だけがそれを感知させます。自然はあなたが隣人を愛することだけをしたいと感じさせる周波数に同調することを求めています。そうすればこの自然の力はあなたのところに訪れ、あなたを是正します。

それ以外の全ての試みは私達を危機に導きます。私達が目的地にたどり着ける道を発見できるようにする為です。その他の方向に向かうことはだんだん無くなります。このことを”エジプトの災い”と呼びます。[出エジプト記に記載されている古代エジプトにたいして神がもたらしたとされる十の災いのこと]それらは最終的に私達にそうする以外に選択肢がないことを気づかせます。完全な暗闇が私達に訪れるとき、私達は逃げ惑い、“隣人を愛すること”だけをを求めるようになります。人々がエジプトから逃げた場所はどこでしたか? 愛が唯一ある場所です。後にシナイ山のふもとで人々が見せた団結がそれを表しています。

私達は投網にかかった魚のように束ねられている

私達が現在置かれている新しい状況は、何によるものなのでしょうか。なぜ私達がお互いに繋がって[相互依存して]いることが明かされてきているのでしょうか。それは、私達の魂の繋がりを啓示する為に起きているのです。私達を束ね一つにする網はスピリチュアルなもので、それは集団魂を表すアダム・ハリションと呼ばれています。

私達は網の中の魚のようにそれに”捕まっている”のです。このように感じる理由は私達がこの繋がりを望んでいないからです。しかしもしあなたがこの網による繋がりを望めば、それは喜びに変わります。なぜでしょうか。その理由はこの相互連結を通じることにより、あなたは上層の力とスピリチュアル・ライフを手にするからです。

私達は既にこの網の中にいます。それは自然そのものです。そして世界中に見られる金融危機やその他の危機は、私達がその網の中にいることを気づかせているのです。

どのようにすれば他者を愛せますか?

私に寄せされた隣人を愛することについての質問です:

質問:あなたは自分を愛すように他者を愛すことが可能であると言いました。私はこれをとても求めます。教えて下さい、母親が子を愛すのと同じように、友が自分の友を愛すことができるよう、心の全体で友のために祈ることができる人はいますか?

私の答え:これは自分自身の祈りでなければなりません。その理由はあなたの要望が – それが完全であるなら – 必ず上層のひかりを呼び、あなたを是正してこの特質をあなたに与えるからです。

質問:私達は愛の見返りをもとめる愛し方なら知っています。しかし「自分のように隣人を愛しなさい」とは何のことですか? この愛は利己的な愛とどのように違いますか? 私達はこのような崇高な愛を知りません。毎日の暮らしの中でこの愛をどのように実践すべきですか?

私の答え:カバラの勉強には、次のもっと進歩した状態を引き寄せるための全行為が必然的に含まれています(これらの行為には、勉強、生徒グループのなかでの団結、および普及活動が含まれます)。さもないと私達は苦難を与えられて同じ状態を強いられることになるでしょう。私達に課せられていることは、私達が後ろから苦難によって押されながらただ苦難を避けるためだけに新しい状態を切望するということを強いられる前に、この状態になることを切望することです。

従って私達に新しい状態を引き寄せる上層のひかり(オア・マキフ)と呼ばれる力だけが、私達に”本物の愛” – 自分自身以外の人の為の愛 – を”説明”することが可能なのです。

質問:仮に私の隣人が私にたいして親切でなく意地悪であったら? どのように私はこれを乗り越えて私の隣人を愛せますか?

私の答え:もし創造主があなたにとって自分自身よりも大切なら、あなたはこれを創造主の為にします。この創造主に対する大切さは、あなたの属している環境から得られなくてはなりません。

私達は自然の世界体系を学ぶことで意向と意図を是正します

世界体系の学習を始めること以外に私達に選択肢はありません。学ぶという行為だけでも私達の意向や意図(intention)は改善します:私達は正しい意向と意図を明かすようになります。それが意味していることは、世界のことを自然が要求している関係にもっていきたいと私達が願うようになるということです。

これを行えば、すぐにでも私達は自然に近くなり、それとの反対になることがなくなります。私達の性質は自然に類似するようになるので、私達は自然とのよい関係を保つようになります。

私達は言うことを良く聞く子供のようになります。周囲にあるもののすべてを破壊したいと思わなくなり、母親にお仕置きされることもなくなります。たとえ彼の中身がまだ正されていなくても、既に彼は要求されていることとお仕置きを避ける為にしなくてはならないことを理解しようと努力していることになります。もはや彼は違う扱いを受けるようになりキャンディをご褒美にもらいます。

それと同じことが私達にも起こります。しかし私達はどうやってそれを始めることができるのでしょうか。私達はそれを単に勉強して始めることができます。私達はテレビ、インターネット、新聞、およびその他の媒体を利用し、この知識を人々に与えなくてはなりません。私達はバール・ハスラムが述べていることを彼らに説明しなくてはならないのです。

私達の欲求と変化を止まらせない力が存在している

私達は喜びに制御されている受取りの願望にすぎません。この願望(私達)は2つの力の影響によってその状態が移り変わります。それらは引き寄せる力と反発させる力です。よって創造の全体には2つの構成要素しか存在していません。それらは喜びに対する願望と、その願望を動かす喜びです。それらは全てのレベルと段階に存在しています – 個体、結晶、液体、生物および化学物質の成分、そして全ての無生物と動物において。全物質の基礎は喜びを受取る願望と、それと反対の充足です。

ここで疑問が生じます:もし存在する全てのものが受取の願望とそれを満たすものだけだとしたら、その体系は静的なものに思えます。では、なぜ最初からその中には”動き”があるのでしょうか。結局のところ、最初に創造主は授与の力を使って受取の願望を創造しました。したがってこの体系は均衡に達するべきであり、その2つの力がバランス状態になるときに変化も止まるべきです。ではどうしてそのような静止がなく、永続的な動きだけがあるのでしょうか。

その答えは、この体系の中にはもう1つの力が働いているからです。創造のなかで働いている力には2つの構成要素があります。創造主は創造した願望に喜びを与えたいのです。そしてそれに加え創造主は、この願望に創造主との同等性も獲得させたいのです。したがってその願望は喜びの感覚も持ち、その感覚の内側にもう1つの感覚を発見します。それは与える者に対する知覚です(与える者が存在していると気づくこと)。

これが「何のため?なぜ?」という私達の疑問にたいする理由です。そしてこれらの質問は私達がリラックスして人生を楽しむことを許しません。もしそうでなかったら私達はバランス状態に達して動物と同じようになります。全てのものは素晴しくて良くなり、自然のすべてはバランスポイントに達し、それと同時に静止してしまうでしょう。

しかし、創造の目的は全創造 – 無生物段階、植物段階、動物段階、および人間段階 – を創造主との同等性に至らすことです。この理由のために”動き”が全てのものに組み込まれているのです。しかし誰が、または何が、全てのものを動かしているのでしょうか。それは楽しみたいという願望でも喜びを貰いたいという願望でもなく、喜びの中で啓示される与える者にたいする知覚です。

経済危機とは実際は上層の光の欠如です

人が自身のエゴに奴隷化されていると感じるとき、この感覚のことを“追放(exile)”と呼びます。追放とは人生のなかでプレッシャーを感じる時のことです。それはこの世の人生から上層の人生に行く時に起こる陣痛によく似ているものです。

今日、私達が人類における様々な問題を直視するに従い、私達はこの偏在する追放の感覚が、近い将来のうちに全世界に広がり、すべての人の中で現れるようになると理解しておくべきです。これは徐々に起こります。その理由は、各自が自身の個人的な成長段階と心理段階にいるというなか、大多数の人々に起きるためです。人々が自分の欲しいものすべてを手にしていたとしても、喜びを貰いたいという利己的な願望は各自のなかで膨張し、すべての人が人生において悲惨な憂鬱、暗闇、そして不満を経験するようになります。その間、私達が直面する不幸は徐々に質的なものになっていきます。

しかしがら、それらの不幸は失業と食料不足というものではなく、その全く逆で、それらは私達の心理的な部分で生じます。人は自身に新しい活力を与える手段を失い、常に不満を抱えるようになり、絶望感に襲われます。

現在の諸問題はすべて物質的なレベルで起きているように映っているかもしれませんが、実際のところ、これらはスピリチュアルな問題であることが後に明らかになります。結局のところ、創造の目的とは全ての人をクリエーター(授与と愛における特質または力)と類似するレベルまで発達させることなどです。

もし個人の中で“心の中の点”―スピリチュアリティに対する欲求(授け与えることに対する欲求です。他の“スピリチュアリティ”の定義と混同しないでください)―が目覚めていないのなら、その人は全ての現象を自分の肉体の存在を通じることでしか理解できません:食べ物、家族、社会の状態など。よってそのような人は現在の諸問題がスピリチュアルなものだとは認識できません。

たとえ個人に欠けている喜びがスピリチュアルなものであったとしても、それが自分に欠けているものだとその人が理解することは不可能です。唯一、肉体的な人生において何か悪いことが起きたときに、その人はスピリチュアリティの欠如が自分の気分がよくないことの原因だと理解しはじめます。このようにしてエゴイズムは私達の中で4段階(無生物、植物、動物、人間)にそって徐々に膨張し、動物の段階がスピリチュアルな段階を出現させるのです。

これは、なぜ世界全体が経済危機状況にあるのかということの理由です。なぜ危機が特に経済的なものなのでしょうか。これら全てのことと経済に何の関係があるというのでしょうか。実際のことを述べると、私達の全員が理解できる言葉はまさに経済のことしかないからです。しかし実際には、それは「ひかり」の欠如です。

不正なビジネスは羊の丸焼きに少し似ている – あなたは全部を食べきることはできない、しかし他者に与えることもできないのです

受取った質問:今日の世界はグローバル化しました。私達は皆その”小さな村”のなかに拘束されています。ある人は何かを買いたい、そしてもう一人は何かを売りたいと仮定してみて下さい。グローバル化した世界のなかで、どのようにこの取引は行われるべきですか。通常、人々は交渉します – 売り手は最も高い値段で売りたいと思い、買い手は最も低い値段で買いたいと思い、最終的にこの中間で成立するように。

私のコメント:実際にはそれは真実ではありません。人がお店に行って欲しいものを見たとき、買いたいとは思いません – 人はそれを取りたいのです。来て欲しいものを何でも取る子供と同じです。これが私達の性質というものです。

ピラミッド型の構図をつくった金融業界の所有者は何をしましたか。私が自分のお金を銀行に投資する、そして銀行はそれに利息をつけて返金する。これが契約です。しかし銀行は私のお金をすべて取ろうと試み、契約を破りました。これが基本的に皆に起きたことです。

私達は、私達の”受取る意志” – 私達のエゴイズム – が完全に私達をコントロールしている状態にまで達しました。そしてそれは私達に公正なビジネスをすることを許しません。すべての人は盗むことも殺すことも、”成功”するためなら何もいとわないのです。この無分別な行為の原因は、私達のエゴイスティックな性質にあります。エゴイズムは人形師のように私達を操っているのです。

私達の金融システムとピラミッド型の構図を作らしたのはまさにこのエゴイズムです。そして人々は他の銀行も破綻するかもしれないと知っておきながら、未だに金を銀行に投資しています。しかしそれは銀行員の知ったことではありません – 彼らの一人一人が、既に持っているお金も使いきれないくせに、もう500億ドル稼ぎたいと思っているのです。

厚切りの羊の肉がローストされているのを想像して下さい。あなたはお肉を全部食べたいと、それをむさぼるように見ています。しかしどうなるのでしょうか。ハーフパウンド、または多くても1パウンドも食べたら、それ以上はもう食べることはできなくなります。そしてその食べ残りを見て考えます。「捨てることはできない!」だからといって他の人に与えるために自分自身を強制することもできません。したがって人がその500億ドルを何かの事業に投資したとしても、そしてその投資が無駄になると分かっていたとしてもなお、人は自分の資本金をもっと増やそうと試み続けるのです。たんに自分を止めることができないのです。

永続的に膨張する私達のエゴイズムが私達にしてきたことがこれです! 古代の寓話に次のようなものがあります。エゴイズムが原因で死につつある男に死の天使が剣を持って訪れます。そしてその剣の先端には一滴の毒がついています。しかしこの一滴の毒はその男につかの間の喜びを与えます。人は喜びがないと生きていけません。したがって、その男は口を開き、そのしづくを飲み込みます – そして死んでしまうのです。私達は生まれた瞬間からこのようにして死んでいくのです。しかし、まさにこの現在露呈しつつあるエゴイズムが、そのエゴの支配と、その支配から脱出する必要性を示す能力を私達に与えてくれます。これが私達の”エジプトからの脱出”になるのです。(訳注:カバラでは、古代エジプトはエゴイズムを意味します。)

本当の教育とは子供達に「アメ」よりも「真実」を評価することを教えることです

受取った質問:どのように賞罰を使って子供を教育するのですか?

私の答え:私達にそれ以外の手段はありません。それは創造主の私達に対する扱い方です。私達は彼から学び、そして彼が私達を扱うように子供達を扱わなくてはなりません。それが唯一私達にできることです。子供の教育方法を、私達に対する創造主の態度から学ぶことです。

私達は、彼が私達をコントロールする方法と彼の私達との遊び方について勉強すべきです。彼は私達を誤った方向に導いている振りをしながら、実際は私達のエゴを惑わしているのです。その後に私達は、彼が私達に彼のように成る方法を見せるために、私達のエゴを功名に惑わせているということを理解しはじめます。

彼は常に私達に対する褒美とその質を上げています。彼はただ私達に「アメ」を与える訳ではなく、私達が「甘さ 対 苦さ」の価値基準から「真実 対 偽り」の価値基準に移行して向上するよう、私達に対して励まし方を変化させます。実はアダム・ハリション(最初の人間=魂の集合体)が堕落したのは「真実と偽り」と「甘さと苦さ」の評価を混同した時だったのです。

したがって私達が子供達を教育するとき、私達も彼らがただ「アメ」を貰うために努力するのではなく、常に「真実」に対する価値感を高めるために努力すべきだということを徐々に理解させる手助けをしなくてはなりません。「アメ」を「真実」に換えることで感じる辛さがあるにせよ、これは最も重要なことです。これこそが本当の教育というものです!

そうする為に私達は彼らに例を与え、ゲームを考案し、社会の協力も提供しなくてはなりません。これらすべてが教育システムの一部になくてはなりません。これ以上に重要なことはありません。実は全世界における唯一の問題は教育問題なのです。たったの1世代だけでも、もし上層支配統制を理解しそれに正しく対応できる世代の教育をなんとか成し遂げれば、私達にはそれ以外に行うことの必要がなくなります。なぜなら私達の人生の目的は上層力との繋がりを築くことだからです。

すべてがこの力から下降してきているのです。したがって私達が築かねばならない唯一の関係は上層力と人との関係です。人はそれを実際に見て、それと対話および交流し、そしてそれとの明らかな繋がりを得る為に、ハッキリとそれを明かさなければなりません。これはすべての人において唯一必要なことで、なぜ私達がカバラの英知 – 被造物に対する創造主の啓示 – が必要なのかということの理由です。

今私達はこの世界に生きている間に彼を明かさねばなりません。さもないと私達は生き方、子供達の教育方法、そして次世代を育てる方法も知ることがありません。これらすべてのことが私達にとって必要不可欠なことです。そしてこれが、なぜ今カバラの英知が公開されているのかということの理由です。私達はわずかの希望に望みをかけてそれを必要としています。

私達の感じる現実は夢に似てます

受取った質問:動物、植物、および(実体としての)物質も存在していないと、あなたが言うとき、あなたは何を意味しているのですか? 唯一人間だけが存在しているのですか? クリエーターの獲得は人間の魂のみを通じて起こるのですか? 私は、私達がここで知覚する全てのもの – 樹木、星空、高い山々、風景 – は現実の”印象”であると理解しています。では、これら全ては私達の想像の中だけに在るのですか?

私の答え:唯一創造されたものは願望(欲望)だけです。そこにはエゴイズムが「私」と「私を取り囲むもの」に分離した感覚が含まれています。その感覚はエゴイズムを是正することによって、「私」という1つの総体と自分のソース(源)の感覚に統合されます。それらは追加されるクリエーターの感覚のことです。

あなたが知覚する外側の全てのものは、あなたの意識の内側で知覚されています。実際に、これが「現実」です。全てのものは個人の意識の中だけに存在しているのです。夢と同じように。私達が「この世界」の知覚しか知らないことによって感覚の客観的比較ができないということは、私達を制限しています。しかし、とても近いうちに人類は眠りから「目覚め」はじめ、人々は他のかたちで存在している人生を発見するでしょう。

私達は荒海のなかの木片のよう

今日の危機は被造物に対する創造主の啓示ですが、それは反対側から生じています。グローバリゼーションとは一体化と連結をさせる創造主の力です。今日この力はすべての人に啓示されています。またこれは、なぜ誰もがすべての人にますます依存していると感じはじめているのかということの理由です。自分が全員に属していて同じ痛みを共有していると感じているのです。

よって創造主の姿は既に被造物に対し現れているのですが、それは創造主の表側ではなく裏側から啓示されているということです。私はこのことを、患者を見て患者が病気の全症状を感じはじめていると察する医者のように捉えています。人類の病気は露呈されつつあり、私達はそれを裏返さないといけません。それは正しい方法で受取るという意味です。

私達は創造主の啓示を経験している世代です。そしてそれは既に起こっています。今日、普通の人とカバリストの見解には大した差はありません。それはあたかも人が荒れた海のなかで浮かびながら、小さな木片のように荒波によって上下左右に投げ回されているようなことです。すべてはこの荒波にしがみついて一体化するという人の同意によって決定されます。

人が同意をすればすぐに、人はどんな揺れも変動も海の中で感じなくなります。完全な安らぎが直ちに上層の光の海に訪れます。それが荒れる唯一の理由は、私達が創造主のすべての行為に抵抗するからです。その結果、私達はリラックスして創造主に身を任せるこで、抵抗したがるエゴイズムを超越することができないでいるのです。

もし私達がこれを行えば、私達は何の変化も生じていないと感じるようになります。すべての変化は人が創造主に対して抵抗していることの結果です。そしてこの抵抗が海を荒させているのです。人が抵抗をやめた瞬間、人は嵐を感じることがなくなり、それが完全な安らぎに取って代わります。