毒を薬に変えるのも我々しだい

治癒の全過程は悪の認識と毒を使って悪を感じることを通して生じます。医療のシンボルはへびの巻き付く毒の入った杯です。最初それは人に最大の危害を加え、人を死なせてしまうものに見えます。しかし実際はその反対で、人を治癒させるのです。

どうして同一のものが、人を治したり死なせたりする原因になりえるのでしょうか? その実体は治療を受ける人がその毒の効果を決めているということです。その人が毒の一滴を毒または薬になることを決めているのです。

ある人は人間の性質を研究し治療法を理解しようとします。ある人は同様の研究法で毒を薬に変える方法を学びます。またある人はその薬を使用する側でしかありません。しかし最低でもある程度、私達は自分達が皆病気であることを認識しなければなりません。私達は、生きることと死ぬことが何を意味していて、本当の善と悪とは何なのか、ということを理解しなくてはいけません。そして私達をある状態から新たな状態に移行させる治療薬があることも学ばなくてはなりません。

私達には診てくれる”医者”がいて、お金を払い治療を受け、その治療は痛いものになるかもしれないということを知らなくてはなりません。しかしある意味において治療のプロセスには私達の積極性が必要とされます。

人類の全発達は信頼できる本物の”医師”の指示で行われます。既に人類は処方箋を受取っており、今まで発達してきました。そして今こそ人々はこのプロセスに自主的に参加するときなのです。その理由は人が”人間”の段階に到達するためには、一般体系に参加し、アダムの体系(与えることの絆でお互いに結ばれた魂の体系)を啓示するためにそれを築き上げ、それが構築されることを渇望することが必要不可欠であるためです。人々はこうして創造主との同等性を獲得します。

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