私達の欲求と変化を止まらせない力が存在している

私達は喜びに制御されている受取りの願望にすぎません。この願望(私達)は2つの力の影響によってその状態が移り変わります。それらは引き寄せる力と反発させる力です。よって創造の全体には2つの構成要素しか存在していません。それらは喜びに対する願望と、その願望を動かす喜びです。それらは全てのレベルと段階に存在しています – 個体、結晶、液体、生物および化学物質の成分、そして全ての無生物と動物において。全物質の基礎は喜びを受取る願望と、それと反対の充足です。

ここで疑問が生じます:もし存在する全てのものが受取の願望とそれを満たすものだけだとしたら、その体系は静的なものに思えます。では、なぜ最初からその中には”動き”があるのでしょうか。結局のところ、最初に創造主は授与の力を使って受取の願望を創造しました。したがってこの体系は均衡に達するべきであり、その2つの力がバランス状態になるときに変化も止まるべきです。ではどうしてそのような静止がなく、永続的な動きだけがあるのでしょうか。

その答えは、この体系の中にはもう1つの力が働いているからです。創造のなかで働いている力には2つの構成要素があります。創造主は創造した願望に喜びを与えたいのです。そしてそれに加え創造主は、この願望に創造主との同等性も獲得させたいのです。したがってその願望は喜びの感覚も持ち、その感覚の内側にもう1つの感覚を発見します。それは与える者に対する知覚です(与える者が存在していると気づくこと)。

これが「何のため?なぜ?」という私達の疑問にたいする理由です。そしてこれらの質問は私達がリラックスして人生を楽しむことを許しません。もしそうでなかったら私達はバランス状態に達して動物と同じようになります。全てのものは素晴しくて良くなり、自然のすべてはバランスポイントに達し、それと同時に静止してしまうでしょう。

しかし、創造の目的は全創造 – 無生物段階、植物段階、動物段階、および人間段階 – を創造主との同等性に至らすことです。この理由のために”動き”が全てのものに組み込まれているのです。しかし誰が、または何が、全てのものを動かしているのでしょうか。それは楽しみたいという願望でも喜びを貰いたいという願望でもなく、喜びの中で啓示される与える者にたいする知覚です。

Discussion | Share Feedback | Ask a question




Laitman.com Comments RSS Feed