この世界を操作する型としての文字

 

質問:アルファベットの文字はどうやって創られたのですか?

答え:アルファベットの文字はアダム・ハリション(最初の人)に由来します。アダムはクリエーター(創造主)に類似できた(Domeh)最初の人です。

アダムはまず上層の世界と、私たちの世界にあるその結果を発見しました。スピリチュアル世界に存在するものはすべて根であり、私たちの世界に存在するいかなるものも、スピリチュアル世界から降りてきている結果であるということです。

この2つの世界はうりふたつなのですが、ただ上層世界は力の世界であり、私たちがいる所は物質の世界である点が異なります。力であっても地球上のもの(電気、磁気、プラズマ、原子など)は、物質世界の一部とみなされています。

ここから、アダム・ハリションは私たちの世界の根、つまり上層の世界を発見しました。アダムは私たちの世界を操っている力が、いかにしてその根から降りてくるか、そこにある特定の規則に気づきました。アダムは上層の力の働きの意図とその動かし方を理解したのです。このことから、アダムはこの法則を公式化し、文字の構造を描写しました。

すべての存在は単一の黒点から生じています。その単一の黒点とは欲求です。上層から下層へ、この点から拡張するもの、つまりホフマ(Hochma)の光、生命の光(図の縦の線)があり、それは上層世界から私たちの世界へ伸びてきています。同時に、横の力であるハサディム(Hassadim:慈悲の力)も伸びています。

世界はこの3つの要素、つまり一つの点、縦と横の2つの線から成り立ち、それにより操作されています。事実、すべてがプラスとマイナスのような、2つの反する力の統合を通して操作されているのです。アダムはスピリチュアル世界にこれらの力を感じ、それらを調査し研究し始めました。

上層の世界はケテル(Keter、ホフマ(Hochmaビナ (Bina)、ゼア・アンピンZeir Anpin マルフット(Malchut)という部分から構成されているため、アダムは上層の世界が私たちの世界へ及ぼす影響について調査し始めたのです。アダムはスピリチュアル世界が2つの部分に分かれていることを発見しました。その上部はガルガルタ・ヴェ・エイナイム(Galgalta ve Eynaim:授与の特質)と呼ばれており、そこで決定がくだされます。下部はアハップ(AHP:受け取りの特質)と呼ばれ、ここから各操作がなされています。

この研究に基づいて、アダムは文字の構造を描写しました。最初の9文字はビナ(Bina)の最後の部分を基礎としています。次の9文字はゼア・アンピン(Zeir Anpin)、最後の4文字はマルフットに基礎をおいています。合計で22の文字と、22の操作モデルがあります。これ以外にも、さらに5文字「ם(メムソフィート)ן(ヌンソフィート)ץ(ツァディソフィート)ף(ぺーソフィート)ך(カフソフィート) (MNTzPCh)があり、総計で27文字となります。

上層の光は鋳型のようなこれらの各文字を通って、文字の形で降りてきます。

光は単一・単純で不定形にして均質、その中には何も特別なものはない文字の上に宿っています。

しかし、光が文字の鋳型を通り抜けるとき、特定の方法で私たちの世界に作用します。なぜなら各文字の横(ハサディム)と縦(ホフマ)の線の相互作用がとても独特だからです。極めて特徴的なのは、ダレット(“Dalet – ד” )という文字です。そこには特別な尾と点があり、その点では2つの線が互いにつながり、そこが文字を回転させる軸になっています。一般的に、文字は内的な特質をいくつも持っています。

文字はそれぞれ分離したクリ(Kli:器)であり、そこではハサディムとホフマの2つの力が組み合わさっていて、それらのベクトルは常に変化しています。

各文字は一つひとつが特定の印であり、上層の力はそれらの印を通して作動しています。上層の力は鋳型を通り抜け、特定の方法で私たちへ影響するためにその道筋をはっきりとさせます。言葉は文字が集められたものであり、コンピューターのコマンドに似ています。

質問:操作には3つの線があると聞いていますが、なぜ図には2つの線しかないのですか? 3つ目の線は文字にどのように示されますか?

答え:それは、3つめは創造物から、つまり下から上向きの線になっているからです。図は上から下へ向かうクリエーター(創造主)からの操作を示しています。

文字で人間そのものを表現できるものはありませんが、唯一、私たちが自分の欲求に文字を付けることを許可した分だけは、そこに人間の表現があります。

質問:なぜトーラーは一言で書かれていると言われるのですか?

答え:なぜなら、トーラーは言葉に分けられないからです。トーラーは絶え間なくつながった文章として書かれています。それを分ける方法がないのです。トーラーとは創造の初めから続くものであり、「はじめに神は創造された」から始まり「イスラエル」という言葉で終わる一つの簡潔な指示なのです。「[196736]

絶対的なしあわせ

質問:完璧で絶対的なしあわせとして表現される、カバラでいう最高位の状態とはどのようなものですか?

答え:絶対的なしあわせは、利己的なシステム(クリパ:殻、トゥマー :不純物、ガスット:俗悪)の左の線が完成し、授与や愛、心遣いといった性質を持つ右の線の満たしが起こった時、左と右の線をその真ん中の線に完全統合することによって作り出されます。

2つのシステムが真ん中の中間線で同時に存在し、互いに互いのすべてを受け取りきるとき、このシステムは完全なるしあわせと言われます。

しかし、この状態は永久に続きません。なぜなら、そのシステムの中で歪みや分解、減衰といったものが絶えずさらけ出されるからです。つまり、しあわせな状態を含むあらゆるスピリチュアルな状態はダイナミクス(動力学)であるということです。

[222628]
From the Kabbalah Lesson in Russian 12/17/17

アルベルト・アインシュタインはカバリストだったのか?

質問:アルベルト・アインシュタインは物理学者なのか、哲学者なのか、あるいはカバリストなのか。あなたの意見をきかせてください。

答え:アインシュタインはややカバリストに近いところがある、と言えると思います。だから、アインシュタインは相対性理論、正確には人である観察者に相対する概念を取り入れ、それを科学の中へ持ち込み、私たちの知覚や知識、人生における相対性の概念を世界へ向けて紹介したのです。

すべては観察者の特性によって決まる——これは、まさにカバラ的な評価です。完成されたコミュニケーション特性(愛による授与)や、(私たちとは反対の)構成要素の総計、自然の特質。そういったものを持つ絶対的なクリエーター(創造主)に敬意を払っている人は、そのように評価しています。

さらに、私たちが知覚することはすべて、人が、人との関係性の中で知覚するものであり、人の外側に何が存在しようとも全く構わないかのようでもあります。カバラの知恵は私たちが到達するところについて述べています。カバラはすべての科学の基礎をなす科学なのです。

カバラは社会を再起動させるオープンソース・コード

私のFacebookページMichael Laitman 3/28/19より(英語)

動物は決して間違いを犯しません。自然の完璧な操作がそこにあるからです。しかし、人間は四六時中、間違いをおかします。

21世紀の今、私たちは一つのボタンを押すだけで、この惑星とそこにいる私たちの存在を終焉させかねない、おろかな状態に達しています。 個人レベルでも、多くの人が現代の奴隷のように暮らしていて、仕事や通勤に時間を費やし、常に気を張って忙しくしています。 抗うつ薬の処方が急増しているのは当然のことと言えるでしょう。

カオスが蔓延しているかのような人間社会とは異なり、自然は深く掘り下げば下げるほど、不思議な知恵を明らかにしてきます。 どんな存在もその要素も、互いに調和してつながっているように見えます。 孤立して存在するものは何もありません。 あらゆる生命体がシステムの中で他の部分に貢献しています。

ではなぜ、私たち人間についてだけ、自然の操作がうまく働かないように見えるのでしょうか。 私たちは自然のオペレーティングシステムのバグみたいなものなのでしょうか?

いいえ、違います。 そうではなく、カバラはそれを、より大きな全体図を見る能力の欠如にあると説明しています。 私たちに起こる絶え間ない問題や課題、苦しみはすべて、私たちを人間として育てるために画策されたものです。 自分たちの周りに見えるカオスは、私たちにこう尋ねさせるために図られているのです。「何が起こっているんだ? 」「私たちはどこに向かっているんだ?」「 私たちの目的は何んだ?」と。

しかし、その答えを得るためには、人間の進化の次なるレベルへ、もっと人間的に高次の知識や技術があるレベルへと上昇しなければなりません。

私たちがこれまでに成し遂げてきたことを見てください。 私たちは、コンピューターやスマートフォンを通して世界中をつなぎ、精巧なヴァーチャル・ネットワークを開発しました。今日、すべてがグローバル・ビレッジ(地球村)でつながっています。ただし、 私たちの心を除いては……。私たちはまだ、人間関係の次なるレベルを築けていません。 人類は今にもシステムのアップグレードをしなくてはならないのです。

自然世界のつながりの性質と人間の自己中心的な性質との間にある激しい衝突。私たちの時代は、それがますます大きくなっていく様子を明確に示しています。 簡潔に言えば、個人的なエゴの誤った導きで、個人的な利益のために、お互いをそしてこの世のすべてを、悪用するように推し進めてきたということです。

それは、人類が古いオペレーティングシステムにこだわっているかのようでもあります。私たちの利己的な社会は、相互的な搾取に褒美を与え、世界に向かって一人ぼっちで、自分のためにそっちにいればとけしかけます。 私たちには洗練されたコミュニケーション手段がありますが、皮肉なことにそれは、私たちがお互いに、いかに感情的な分離をしているかをさらに際立たせてしまっています。

では、どうしたら、私たちの意識を自然のオペレーティングシステムに合うように向上させられるのでしょうか。 それを成功させるには、自然のコードを熟知した一流の開発者による、アップグレードのためのガイドが必要です。 そして、まさにこれを、カバラという本物の知恵がもたらしているのです。

数千年もの間、カバラは少人数の小さなグループによって実践的に用いられてきました。 しかし、それには意図がありました。人間の性質を向上させる必要性が現れたその時に、この知恵をすべての人に明かすためです。 そして、今がその時なのです。

いったんアップグレードをしたなら、まったく新しいレベルの人生が待っています。そこでは私たち一人ひとりが切り離されない状態となり、人類全体がつながっています。そこは、皆が皆のために利益をもたらすことを望むところ、「汝の隣人を汝のごとく愛せ(周りの人を自分のように愛しましょう)」という概念の背後にある真の意味を発見するところです。

「汝の隣人を汝のごとく愛せよ」とは、倫理でも習慣でも、優しさあふれる行動のことでもありません。 そういったものは単に、そこに潜在している副効力にすぎません。「汝の隣人を愛せ」とは、人間の感情や知覚の拡大を意味しています。そして、それが自然そのものにある愛の力、自然のオペレーティングシステムを導く根本的な力に触れさせるのです。この啓示による驚くべき事実によって、私たちは高次の意識からの神の喜びで満たされます。そしてそれは、すべて初めから私たちのために仕組まれていたのだと、私たちは発見するのです。

 

人が死ぬと魂はどうなるのか?

「人が死ぬと魂はどうなりますか?」
私がかつて、我が師、ラバシにこの質問をしたところ、彼はこう答えました。
「それは、一日の終わりに汚れたシャツを脱いで、洗濯機に投げ入れるようなものだよ……」

これと同じように、人生の終わりにも魂から体を脱ぎ捨てます。身体は朽ちてなくなりますが、魂は生き続けます。古いシャツを脱いでも生きたままなのと同じように、肉体を脱いでも生きたままなのです。

質問:ならば、身体なしで魂はどのように存在するのでしょう?

答え:今も魂は体なしで存在しています。身体に伴ってはいますが、それに触れてはいません。魂はあなたが感じることができない別の次元に存在しています。

バール・ハスラムは『平和』という記事でこう書いています。
「このように我々の世界では、身体は新しくなっても新しい魂というものはなく、(形態変化の輪の上で)実体化するある決まった量の魂だけが存在する。そのために魂に関して言えば、創造の始まりから是正の終わりまでのすべての世代は、魂が発達しあるべき姿に是正されるまで続く数千年にわたる人生を生きるひとつの世代である……」

この世で魂が発達する期間は6000年です。この発達は5775年前に生きていたアダム・ハリション(最初の人)から始まり、6000年が終わるまで続きます。つまり、私たちにはあと225年残されているということです。この間に、私たちは全員で自らの魂を発達させなければなりません。それは集合的な魂における私たちの役割であり、私たち全員で全員をひとつの魂につなげるということです。

カバラの知恵はその全過程を説明しています。140億年前、ひとつの火花から私たちの宇宙の物質的進化が始まりました。ひとつの火花が「ビッグバン」の始まりとして用いられたのです。こうして、無生物の進化が始まりました。そして、20億年前、最初の植物が地球に現れ、次に動物が現れ、その後人類が現れると、人類はその次の段階、つまり上層の世界、生命の源を獲得したいという欲求が芽生えるところまで発達してきました。

無生物から始まり、植物、動物、人間へと続いた発達の中で、人間は、魂の発達と呼ばれるより高い段階へ至らなければなりません。次の段階、その上の世界へと上がっていくということです。上の世界にも、無生物、植物、動物、人間という発達段階があります。しかし、その上に、私たちが成長しさらに高い世界へ上っていくのに必要なスピリチュアル段階があります。私たちはこうやって5つの世界を通過していくのです。

質問:アダム・ハリションは5775年前に生きていて、彼は自分の内で魂を発達させたのですよね?

答え:そうです。だから彼はアダム・ハリションと呼ばれています。

質問:つまり、あと225年の間に、すべての人がその内側に魂を発達させなくてはいけないということですか?

答え:そうです。あと225年、もしくはそれよりも前にです。誰一人例外はありません。だから、私たちはこの発達が速度をあげていくさまを目にすることになります。時間はその濃さを増し、一見すると縮小して圧迫されていきます。私たちが自分たちの内側に魂を発達させないならば、そして発達に向かって自分自身を押しやらないならば、自然の力はあらゆる災害やさまざまな問題で私たちを圧迫し、私たちをすさまじい重圧のもとにさらします。自然の力が私たちを魂の発達へと向かわせるのです。

魂の発達はなによりこの世でしか起こりません。そして、それは人々の間のつながりを通してのみ改めていけます。私たちの間のつながりを通して、私たち全員にとっての全体であり共通であるたった一つの魂に形を与えるのです。

バレンタインズ・デイ

私のFace bookページ Michael Laitman 2/14/19 より

愛とは何でしょうか?  一般的に愛の定義とは、非常に曖昧なものです。 愛は音楽や文学、詩のひらめきの源ですが、基本的に多くの人にとって、その本当の意味は知られていません。今、私たちが知覚している現実というのは、実のところ「汝の隣人を汝のごとく愛せ(周りにいる人を自分のように愛しましょう)」という全体的な力に支配されているのですが、愛とは本当は何を意味するのでしょうか?

私たちが動物的、物質的、利己的にお互いを楽ませるような愛、肉体の世界で手にすることのできる愛は、愛ではありません。親は本能的に自分の子を愛し、子も本能的に親を愛しますが、そこには、お互いに求めるものを受け取りたいという期待があります。

一方、男女の間の愛は、単にホルモンによるものです。それは突然消えたり、逆にどこからともなく降って湧いてきたりと、動物レベルで引きつけあっているにすぎません。

それとは対象的に、真実の愛とは永遠であり、この地上の欲望を超えたところに根付いています。私たちはいつも自分の利益を利己的に計算していますが、それを超えて互いに依存しあう自然と人類を統合した一つの世界の、一つのシステムに自分たちが属していることを知り、それを悟ったとき、真実の愛は生まれます。つまりそれは、相互に関連しあったシステムであり、私たちはその一部なのです。そして、さまざまな違いの上で、まるで一つの家族のような一つの統一体として、そのシステムは維持されていきます。

家族の中では、お互いに大きいも小さいもありません。それぞれが同じように重要です。これこそが私たちが人類をどうみるかに必要なものです。そこでは、お互いに感謝し、良さを認め支えあい、自然の完璧な完成図を得るために各自が不可欠であり、それがあらゆる関係性を成功させる鍵になるのです。

この形をとっていても、私たちが持つ傾向や欠陥がなくなるわけではありません。私たちはただ、それをどう超えていけるかについて関わっていきます。私たちを分離しているすべての憎しみと拒絶を覆うような、真実の愛という空の下でつながるために……。その空の覆いを創ることが、いつなんどきも、無限の愛という新しい感覚に到達するための条件なのです。

 

幸せが隠されている場所

質問:カバラの知恵は人を幸せにすることができますか? カバラの知恵を知るとどうなるのですか?

答え:人は子どものころ、人生の意味についての問いを持っていたとしても、思春期を向かえるころにはそれを忘れてしまうものです。しかし、人生の後半になってその問いが再びわき上がってくると、これらの質問に対する答えを探し始めます。

今日、そういった人たちはかなりの数にのぼっています。答えの出ない問いに対する苦痛や苦悩。これはうつを患っている人の数や、その問いを麻薬を使って押さえ込もうとする人の数にあらわれています。 今やそういった人々が世界の人口の少なからずを占め、相当の割合の人々が抗うつ剤を服用しています。

そして今、その問いに対し、カバラの知恵がその答えを提示する時が来ています。カバラの知恵にはその正確な答えがあり、人々はそれを自分自身で発見することができます。そしてその答えに、自分たちがいるこの世と自然の世界の真の成り立ちを知覚していきます。 人々が見つけるその答えは、単純なものでも抽象的なものでもありません。その人たちは、自分の感情の中で、また明かされた世界の中で、その答えがどのように機能しているのかを見ているのです。

そのため、この世界を把握するだけでなく、世界を変化させ、自分自身を変え、そして自分自身と世界に正しいつながりをもたらすことが必要です。その結果として、幸せや安らぎ、周囲の人々や世界との調和とバランスに到達できるようにするべきなのです。

ここで、このカバラの知恵が助けになります。カバラの知恵は、自然との調和を成し遂げ、私たちが完璧なバランス状態でこの世界に存在するために、人間はどう変われるのか、自然はどう整えられていくのかを教えてくれます。 このバランスこそが幸せなのです。
[150795]
From KabTV’s “The New Year” 12/25/14

Twitterで述べた私の考え 19/2/6

スピリチュアルな根の部分では、分け隔てや不調和といったものはなく、すべてが完全な状態で存在している。私たちはその不調和を保ちつつ、源である根の世界、統合された世界へと、不調和を超えて上がらなければならない。それによって、クリエーターは明かされる。
憎しみは争いを引き出す。方や、愛はすべての罪を覆う。(Parables 10:12

「ありとあらゆる年代、あまねく文化の人間が、あることの答えと共通の疑問に直面している。この隔たりを克服するにはどうしたらいいのか。どうやったら統一できるのか。どんな方法でそれぞれの人生を超えて埋め合わせしていけるのか、という疑問である」
(エインリッヒ・フロム『愛するということ』)

正しい結論に至るかどうかは、論争や意見の相違があるか否かにかかっている。矛盾が大きくなればなるほど、また知識が増せば増すほど、問題を解決する機会も多くなる。

しかし、一つの目的を追求し続けるという条件の下で、(エゴを超えた)すべての人に共通するものは、社会にとっての善である。

存在の基礎とは統合のことであり、あらゆる違いを統合の源へ含ませることである。その主たる部分は創造の基礎をなす人次第であり、したがって、「汝の友を汝のごとく愛せ」とは、世界の統合や個々の人生、その存在、全宇宙の是正の法則なのである。(Blessings4

From Twitter, 2/6/19

2019年砂漠のコンベンションへの準備

クリエーターを満足させるためには、共通の欲求を持たなければなりません。誰一人として、自分の欲求だけでは、十分な強さの影響力をもたないからです。クリエーターというのは、私たちの統合の結果であり、唯一、私たちの中心、テン(TEN:10人)の中心からだけ「彼」に到達できます。私たちが共通の欲求に到達したいと切望した時点から、その切望の分だけクリエーターへつながっていくのです。

私たちはこの欲求をその質と量において発達させ、成長させ続けます。自分の内側にどんな種類の欲求があるのか。クリエーターに向けられた共通の欲求、つまり共通のマルフットに貢献する時、いつもどのようにそれを心を決めているのか。私たち一人ひとりが、主にそういったことを確認していきます。

愛の貯蔵庫(器)は信仰です。愛とは、信仰の光、ハサディム(Hassadim)の光に変化するホフマ の光(Light of Hochma )です。クリエーターのために愛を受け取るということ。そのためには、私たちの中にそういった器を発達させる必要があります。

友へ授与するのはクリエーターへ授与するのと同じである、と書かれています。自分が楽しむための欲求であれば、テン(TEN:10人)でも、世間でも、クリエーターでも、どこに授与しようが何の違いもありません。どちらしても、器の中に受け取らないように、自分を自らの欲求から切り離すことになります。しかし、授与それ自体には、友人へ与えるのとクリエーターへ与えるのとでは違いがあります。

もし人が純粋な愛に到達し、友へ向けて授与するのであれば、それに伴ってクリエーターへの愛と授与にも到達する、と書かれています。勉強とテン(TEN:10人)での作業に助けられながら、その友人たちのなかに正真正銘のクリエーターの性質を見るために、友人たちへの態度を変えないといけないのです。それができたとき、友への愛が完全なものになり、クリエーターへの愛が友人たちの中に明かされます。

しかし、自分の行動はすべて権力やプライド、わがままのためであり、正しい意図とは反対であることを発見したとしたら、どうやって同じ力と熱意でもって進み続けていくのでしょうか? 自分が身勝手に行動していることや、自分の意図と行動は必然的にすべて自分のためであることを、私たちは知っています。しかし同時に、私たちは反対の方向へ動くことを欲しています。「エジプトへの追放からの脱出」と言われるものです。

私たちは利己主義や私一人のためという意図、グループへ向けてのエゴだらけの態度といった力の下にいます。私たちはこれに気づくと同時に、自分たちの行ないが利他的になるという望みをもって、振る舞いつづけなければなりません。たとえまだ、そこに正しい意図はなく、あるのは行動だけだとしても、そうすることで、改善する光を惹きつけます。

私たちの意図がすでに利他的であったなら、内なる光が作用しているはずです。しかし、今私たちに作用している包む光(囲んでいる光)はそれとは違い、今のところ授与のための意図はありません。私たちがエゴの中や自分一人のためという意図にいたとしても、自分たちの行動が与えるものになるよう段取って、包む光(囲んでいる光)を目覚めさすのです。

つまり、私たちは行動の世界に存在していて、結局、私たちにできることは、今はまだ反対の形態である改善する光を目覚めさすことなのです。この改善する光は心の点を持つ人々を見分けます。そういった人々は、授与というものの存在やクリエーター、利他的なつながりを感じることができますが、そこに到達する能力はありません。授与の力を理解していても、その正反対の状態の中に自分がいることも見つけています。しかし、自分たちの行動を通して、改善する光と言われる授与の段階からの影響を引き起こすことができます。

利己主義とその内側にある心の点。この2つの性質を持つ人だけが、それをする能力を持ちます。その人たちはエゴの内側では、自分の性質や追放状態、ファラオの奴隷として、それにしたがって行動しながらも、心の点にせきたてられて、授与や奴隷状態からの脱出、エゴからの解放へ向かっていきます。そして、かすかな希望を感じたかと思えば、エゴから自由になることはできないと悟る。それを何度も何度も繰り返していくのです。「イスラエルの子どもたちがその仕事にため息をつき……、泣き叫ぶ」まで。

この2つの相反する性質は、イスラエルというクリエーターへまっすぐに向かう人だけに存在します。その人は自分が受け取りたいという意志に支配されていることをはっきりと認識すると同時に、授与について、自分自身の上へ昇ることについて考えています。その人にとって、それは哲学でもなければ、心理学でもなく、現実的な人生の目的です。その人には、欲求の中の欲求、つまり利己主義の内側にあるスピリチュアルな点を与えられているのです。

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 1/27/19, “To Bestow Contentment to The Creator” (Preparation for the Convention in the Desert 2019)

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理性を超えた信仰へ至るには?

理性を超えるとはどういうことなのでしょうか? 私たちが理解していることや、この世の人の思考からすれば、理性の範囲内とは人のエゴを意味します。「私の意見では」などというように、エゴによって、人は理解し、感じ、決意し、行動します。しかし、自分の意見を超えたところに、上層世界の意見があります。つまり、クリエーターの意見と引き換えに、自分の意見をあきらめなければならない、ということです。

しかし、人はクリエーターの意見を知りません。それはテン(TEN:10人)を通して届きます。もしテン(TEN:10人)につながるなら、徐々に自分を無化して友に統合することで、友の意見と引き換えに自分の意見をあきらめていくことになります。これは何かを単純に別の何かに交換するといったことではありません。それでは天使、つまりスピリチュアルな獣になってしまいます。そのため、自分の理性を超えてそれを振る舞うのです。自分の意見は保ちながら、それを超えていくのです。つまり、2つの段階にいることになります。この2つの違いからスピリチュアルな人が持つ理解力を見つけ出していきます。

人の感覚は何も壊されませんし、何も消されません。その代わり、今までとは異なったクリエーターの性質を付け加えることで、理性を超えた信仰を獲得します。自分の意見を持ちつつ、それを超えた信仰を持つのです。そして、人はその2つの間に存在するようになります。クリエーターは、無駄な楽しみのために私たちの欲求を創ったのではありません。それは、「暗闇は光のように輝く」という、常に私たちに伴っている基礎を成すものであり、エゴや自分の意見といった暗闇はそれを超えた意見を助けています。人が低き被造物にクリエーターの偉大さを獲得するのは、それらの対比によってなのです。

私たちは自分を取り消すことも、自分にある何かを失うこともありません。両足でしっかりと立ちながら、中間の線を築きます。そして唯一この方法だけが、自分たちをクリエーターと類似したアダムという人間に位置づけるのです。被造物にあるすべて、起こることすべては、クリエーターから受け取っています。しかし、それは人が自分でどう決めるかによっています。1

クリエーターは人に「彼」(クリエーター)とつなげるアダプターを与えてくれています。それは、テン(TEN:10人)です。このアダプターはとても複雑なものですが、他に選択の余地はありません。たとえ何年かかろうとも、そのアダプターにつながってそれを使うしかないのです。そして、自分を無化しなければ、グループにつながることはできません。自分のプラグではソケットに合わないからです。クリエーターは友人たちの内側にいて、「彼」はもっともっと友人たちにつながれるよう助けているのです。友人たちの内側に「彼」を明かし始めるまで……。そうして人は、友人たちを通してクリーターと共に働き始めます。その友人たちはその人の魂であり、魂を満たす光であるからです。

そのため、これまで経験したすべてのことから離れて、グループに入り自分を無化し始める以外に私たちに選択肢はないのです。今私たちは、人生経験と知識が豊富な大人について話しています。しかし、人はその自分から抜け出して胚(胎芽)を作り、グループに対して無(ゼロ)になります。その状態から人が知識を得始めて、成長し始めると、人のもともとの性質やその思考、自己への欲求といった土台の上に、理性を超えた信仰を築きます。片方がなければ、もう片方もありようがないのです。2

From the 1st part of the Daily Kabbalah Lesson 1/23/19, Writings of Rabash, Vol. 1, Articles “Rungs of the Ladder,” Article 21 “Concerning Above Reason” (1986)

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